東都の空騒ぎに背を向けながら

7月23日の誕生日は、何ということはない、通常業務の日でした。その前日には毎年と同様に四条川端SIBAで一献傾け、一夜明けて本日は龍谷大学・瀬田キャンパスで授業内試験を行いました。問題作成は悪戦苦闘しましたが、まぁ学生が大変ですかね。その後は彦根に抜け、友人・静ちゃんの自坊・東福寺でささやかに祝ってもらいました。

それにしても、歳を重ねた所為か、はたまた梅雨でいろんなところにサビが出ていたのか、我ながら頭を抱えてしまうような大ボケをかましてしまいました。一夜明けて、24日は古代史研究会の特別集会、

古代ギリシア史研究の現在地―古典期・ヘレニズム期・帝政期の対話

の日です。報告者の顔ぶれは豪華で、主題も多様でいずれも興味深く、大変に楽しみにしていました。オンライン開催なので、彦根からでも参加できる・・・はずでした。ところが、待てど暮らせどリンクが送られてこず、気がつけば開始時刻を疾うに過ぎていました。

・・・どうも、参加登録をしたはずが、「つもり」でしかなかったようです。あはは(涙)。

やれやれ、仕方がない、と静ちゃんに告げて、その後はひたすら寺の草むしりと文書校正に従事した次第です。炎天下での作業、焼けますね、肌が。

 

さて、東の方でははじまりましたねぇ、オリンピックとやらが。一切見ない興奮しないと決めたので何が起こっているのか知りません。ただ、新聞もテレビも、その関係の記事ばかりになって、読む記事がなくなったのは困りものです。リスニングの練習も兼ねて、BBCのNewshourを聞くしかない日々ですね、ええ。北陸の或る大学の先生(お名前は伏せます)が呆れたように

「見事なまでの手のひら返し」

と呟いておられました。全くその通りで、私も呆れ果てております。

同時に思ったのが、よく似た情景を眺めたことがあるなぁということで、思い当たったのは2002年の韓日ワールドカップです(ミスタイプではありません、これ)。日本の16強はさて置いて、韓国の4強という「怪」進撃を騒ぎ立てる報道にあきれ果てた日本人が、一斉にマスコミの報道から、あるいは「ソーシャル・ディスタンス」を取り、あるいは背を向けたモノです。日韓友好を促進するどころか対韓感情と対マスコミ不信がどうにもならないほど悪化してしまい、処方箋として導入されたのが「冬のソナタ」にはじまる韓流ブームだった、とシラけながら思ったモノです。

そして2004年の「自己責任論」で、日本のマスコミは自分の死亡通知書に自ら署名をしました。あの一件、とくに人質が殺害された秋の事件の報道は、その鮮やかな「手のひら返し」が、今回のオリンピック報道と経過がそっくりです。

「『~ということはわかりきっているのに、何故そんなことをするのか』と云ってしまった人間は、その時点で、知的な存在としてはお仕舞いだ」

そのとき、そう思った私が引き寄せられたのが、下川裕治氏の『香田証生さんはなぜ殺されたのか』を紹介した岡崎大五さんのブログ記事でした。本書を肴に黙々と酒盃を傾けた岡崎さんに引き寄せられて同書を求め、一気に読んだあのときに考えたことを、また思い出してしまいました。この本が、いま絶版です。いまこのときにこそ、一人でも多くの人に読んで欲しい本なんだがなぁ。そう思いながら、今夜の晩酌は、・・・ああそうか、熊本で2月に買った、焼酎があったっけ(笑)。