仙台・平泉ひとあるき~東北初訪~

10月11日更新

8月20日まで、大学の成績報告等々で、京都を離れる余裕など欠片もない日々でした。実はその後も、追試監督などの予定が入りそうな情勢で、遠出ができそうなのは9月の初旬のみ、という事態が徐々にみえてきたのは7月末頃でした。そのころには、国内はおろか国外にまで遠出をする知人友人の報告が続々と手許に入ってきていましたが、海外渡航は当分控えた方がよいというのが私の見立てです。

『さて、どうするか』

とぼちぼち考え、仙台行きの飛行機の券を買うことにしました。理由は、東北に未だ行ったことが無いから、というそれだけのことです。

かくして9月5日、関西空港9時10分発、仙台行きのピーチに搭乗、仙台入りしました。実のところ、これがヒヤヒヤものでした。乗り換えのなんばでは地下鉄と南海の駅の距離が想像以上に遠く、南海のホームに到着てみると、乗る予定の関空急行が発車した直後でした。関空に到着しても第1ターミナルを見て回る余裕もなく、乗り換えバスで大慌てで第2ターミナルに到着し、チェックインを済ませて大きく安堵の息を吐いたものです。

仙台空港駅にて

10時半、仙台空港に到着すると、小雨でした。そこから、連絡電車で仙台市内に出ます。これが初めての仙台ですが、同時に云えるのは、東日本大震災の後であるということです。あいにくの空模様でも、新しい建物が多いとわかり、思わず目を閉じていました。あの震災の時はエディンバラにいて、ただ慌てることしかできませんでした。やっとここに来たんだな、と・・・

仙台駅に降り立って、市内観光に乗り出す暇もなく、腹ごしらえをして一関に向かうバスに乗りました。1時間半ほどの道中は、ほとんど寝ていました。朝が早かったモノで、つい。一関からは、列車で平泉に向かいました。到着が3時頃で、本日見て回ることができたのはただ一カ所、中尊寺のみです。駅から歩いて20分ほど、拝観入り口を入ってからが、さらに道は遠く、広かった・・・まずは月見坂を上り、そして歩いて塔頭、歩いて塔頭という具合で、1時間半ほどは歩き回ったと思います。それだけに、金色堂を見たときは感無量でした。現在はコンクリートの頑丈な覆堂で保護されていますが、かつての覆堂も、離れたところで見学できました。私は「鞘堂」と記憶していましたが、古い記録ではこちらの記述になっているようです(中尊寺ウェブサイトより)。

この先も広かった・・・

覆堂前。金色堂は写真撮影禁止。感無量でした。

旧・覆堂(鞘堂)。もともと内部に金色堂が入っていたから当然だが、内部がガランとして柱がないお堂は珍しい。



平泉は、とても一日で見て回ることができそうになかったので、仙台にとんぼ返りするのではなく、水沢(現・奥州市)に一泊することにしました。宿を予約したときにはまったく自覚していなかったのですが、この街は後藤新平齋藤實、さらには幕末の高野長英の生まれ故郷であると、移動中に検索して知りました。それならば、この街だけでも充分に時間を費やすことがありそうですが、残念ながら場所を限るしかなさそうです。かくして次の日の朝、宿をチェックアウトして、徒歩数分のところにある後藤新平記念館を訪れると、9時の開館時間の前に既に開いていました。何のことはない、地元の小学校の社会見学とはち合わせたのです。30分くらいで大急ぎで見て回り、その後は少し離れたところにある後藤新平の生家に足を運びました。こぢんまりした建物でした。

後藤新平記念館

後藤新平旧宅。道を挟んだ反対側には、奥州市武家住宅資料館もある。

さて、水沢から20分弱で再び平泉に到着。駅前のレンタサイクル屋で自転車を借り、4時間ほど、中尊寺以外の遺跡を見て回りました。コースとしては毛越寺観自在王院~平泉文化遺産センター~芭蕉館(昼食)~柳御所~高館、というコースです。寺も御所も、いずれも中世の間に廃墟となってしまったところばかりです。観光案内を見ると、奥州を藤原氏から接収した鎌倉幕府も保護に力を注いだが及ばず、中世の間に廃れていったようです。半独立王国の中心地としての役割を終えると、その生命力を失ったということでしょう。中尊寺は、よくぞ残ってくれたものだと感心します。

毛越寺。伽藍は近年のもの

昼食(芭蕉館)。わんこそばは挑戦している時間が無く・・・

柳御所跡

平泉から仙台に戻り、翌日はオンライン会議に参加した後に多賀城へ向かいました。平安時代国府の跡は、仙台駅から列車に乗れば、さほど離れていないところにあります。律令政治が機能していた時期の、東北経営の基盤だったところです。ここから指呼の間の仙台に伊達政宗が藩庁を置き、肩かたや奥州藤原氏が本拠地とした平泉は、多賀城から東北経営に乗り出した征夷大将軍坂上田村麻呂が築いた胆沢城の少し南にあるというのは、なかなか面白いところです。京都方面に関心があれば多賀城/仙台、北に関心のベクトルを向ける政権なら平泉を本拠地にするというところでしょう。

多賀城跡。よく整備されています。現在も調査をしていました。

さらにそこから松島へ向かいました。このころになると雨が降り出し、絶景と名高い松島の景色も、雨の向こうにかすんでしまったのが残念でした。

伊達家の菩提寺瑞巌寺の境内。

そして一夜明けて最終日、本日は青葉城瑞鳳殿を訪れました。どちらも太平洋戦争で燃えてしまっておりますので創建当初の建物は残っていません。青葉城は、最寄り駅から本丸への最短ルートは今年3月の地震で石垣が一部崩れて迂回路をたどることになりました。で、えっちらおっちら歩いていてわかったのですが、東北大学青葉城の敷地内なんですねぇ。お城の中に大学を作ったのは金沢城だけかと思いましたが、他にもあったんですねぇ。歩くのは、なかなか大変でした。小雨だったので、本丸からの眺望もいまいち。ぐすん。青葉城の後は、瑞鳳殿を訪れました。城から下りて、市街地を少し歩いて、さらに山を登ったところでした。歩くのは苦になりませんでしたが、雨に悩まされました。

青葉城の石垣と、復元された櫓。

瑞鳳殿仙台藩初代藩主・伊達政宗の霊廟。

4日間だけということもあり、そして平泉観光が当初予測より遙かに充実してしまったこともあって行きそびれた場所も多かったです。また来よう、と強く思いながら、飛行機に揺られて帰りました。