「自爆テロ」の妥当性否定:その2

自爆テロ」という言葉は間違いである。最初に私がそう教えられたのは、2005年11月、立命館大学で行われた広河隆一氏の講演会である。広河氏は、中東とチェルノブイリについては日本でおそらく随一の現地経験を持っている人であり、以前に私は「広河氏の著作を参考文献に挙げていないイスラエル論は、その時点で論外」と断言したこともある。そういう、日本の内外に鋭い目を持っている人が
「『自爆テロ』という言葉は存在しない。あるのは『自爆攻撃』という言葉である」
と言うであるから、その時点で納得してしまった、というのが、私が「自爆テロ」の使用を批判し始めた最初の要因である。
さて、では何故、「自爆テロ」という言葉は間違いであるといえるのか。まず初歩的なところで申し上げれば、これは誤訳なのである。言語は"suicide bombing"もしくは"suicide bomb attack"である。これを直訳すれば「自爆攻撃」という訳語の方がスッキリくる、というのはおわかり頂けるであろう。なお、"bombing"をもってテロと直結したくなる向きもあるだろうが、"bomber"には「爆弾兵」、"bombing"には「爆撃」の意味も含まれるから、「bomber=テロリスト」という等式は成り立たない。
次に。インターネットを検索してみると、私の見る限りでは、「自爆テロ」の使用の正当性を強調するサイトというのは見当たらず、「自爆攻撃」の正当性を主張するサイトの方が多いように思われる。「自爆攻撃」という言葉を使用する人たちは、「自爆テロ」という言葉が基本的に間違いであることを承知しており、意識的にこの言葉を用いていない、ということが見て取れる。なお、「自爆テロ」という言葉を使うことの正当性を主張している数少ないサイトはウィキペディアであるが、ここにはどんなことが書いてあるだろうか。以下に引用してみる↓

自爆テロ(じばくテロ)とは、犯人自身も死亡する事を前提とした殺人・破壊活動などのテロ犯罪である。技術やコストがかからず目標まで誘導して攻撃できることから『貧者のスマート爆弾』とも言われる。もともと英語のSuicide bombingを日本語訳した言葉だが、原語が軍施設や兵士に向けられた攻撃・破壊活動も含むのに対して日本語の『自爆テロ』では特に無関係・無抵抗の民間人に向けられたテロ攻撃を示すことが多い。

成る程、と頷きたくなるところだが、このエントリを下の方にスクロールしてみて、「主なテロ事件」の一覧を見てみると、上の説明が完全に成立しなくなる。何しろ、「自爆テロ」の例の筆頭としてあげられているのが、これである。

レバノン内戦でのムスリムゲリラによるイスラエル軍への自爆攻撃

レバノンでの、イスラエルに対する自爆攻撃をテロと同一視している時点で、上の説明が全く成り立たない、ただのお題目であることがモロにバレてしまっている。ちなみにこのリストでは、スリランカの「タミル・イーラム解放のトラ」の事例が多く挙げられているが、ウィキペディアの英語版で"Suicide bombing"もしくは"suicide attack"を検索して頂きたい。全く同じリストが出て来る。ちなみに、英語版の方では、「自爆攻撃」の例のトップに太平洋戦争での日本軍のカミカゼ特攻隊が挙げられている。あれはテロであろうか?「自爆テロ」と「自爆攻撃」を分けて説明することは基本的には不可能であり、日本以外の国では分けて考えていない、ということが見て取れるかと思う。第一、日本で「自爆テロ」と「自爆攻撃」が分けて伝えられた例を列挙し、比較したサイトないしは書籍が参考文献に挙げられているなら私も信用するが、そんな例が無く、ただあるのは英語版のサイトからの粗悪なコピー、というのでは信用も出来ない。
では、「自爆攻撃」を意識的に使用している人たちは何故、「自爆テロ」という言葉の使用を問題視し、忌避し、退けているのだろうか。次の引用を見て頂きたい↓

自爆テロ」「自爆攻撃」 に関する表記について(2007/03/22)
欧米の英語メディアでsuicide attack, suicide bombingと表記され、直訳すると「自爆攻撃」「自殺爆弾」という言葉を日本の多くのマスメディアでは「自爆テロ」と訳しています。

パラダイス・ナウ』では、アサド監督は映画の中で自爆攻撃を指令する集団を「軍(army)」と称していました。彼らは、軍服を着て、ヘルメットを着用し銃を携帯しているイスラエル兵と比較すると、全く普通のナブルスの市民にしか見えません。圧倒的に兵力に差がある戦時状態というのが映画の描かれているナブルスの現状です。

自爆テロ」と称する時には、テロという言葉の持つ意味から、極悪な犯罪のイメージが付加されているように思われます。特に不特定多数の民間人を巻き込んだ場合がそうです。ただ、戦時下において民間人を巻き込むという事だけでいえば、空爆やロケット弾による爆撃の方が遥かに多くの民間人を巻き込んだ殺人を起こしているのも事実です。高価な兵器での殺戮を「攻撃」、安価な自爆による攻撃を「テロ」と称しているのが日本のメディアです。

アサド監督は、来日時に「“自爆テロ”という言い方はやめてほしい“自爆攻撃(suicide attack)”と言ってほしい」と日本のインタビュアーの人に言っていました。また、アラブでは「自爆攻撃」のことを英語で「suicide operation」というらしいです。(映画のパンフレットではこれを「自決作戦」と訳しました)
2001年9月11日の日本では「同時多発テロ」と称している事件はアメリカのメディアでは「September 11,2001 attacks」称しています。

映画の舞台のナブルスはイスラエルの占領下にあり、現在の状況は映画撮影時よりさらにひどく、ロケット弾が飛び交い、市民が射撃されており、市民の移動の自由もなく、人間としての尊厳が保てない状況にあり、隔離壁を作り続けているイスラエルは「民族浄化(ethnic cleansing)」を行っているということをアサド監督はインタビューで訴えていました。

パラダイス・ナウ』の公開と同時期に神風特攻隊を描いた映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』が公開されています。アサド監督は『パラダイス・ナウ』の製作にあたって特攻隊で亡くなった日本の若者の手記を読み参考にしたそうです。それを読んでアサド監督が感じた事は「神風特攻隊で亡くなった人たちにはそれぞれ個々の理由と物語があり、ステレオタイプ化できる事はないということが印象的でした。これはパレスチナの自爆攻撃者も同じです」とインタビューで答えていました。(映画「パラダイスナウ」紹介サイトより)※この映画については、広河隆一氏も感想を書いているので、併せてご覧下さい。

些か長くなったが、省略できる要素が全くないのでまるっと引用させていただいた。ここに、エッセンスが全て出ているのではないかと思う。「自爆テロ」という言葉が日本でしか使われないことについては宗教的な理由もあるはずで、そのことも論じようかと思ったが、上の引用記事を読み直して、特に述べる必要がないように思われてきた。そんなわけで、今回はこんなところで書き終えたいと思う。