関西学院大学・西洋史研究会大会

二年ぶりに、関学西洋史研究会の大会に出席してきた。一昨年は年に一度の体調崩壊の時期にぶち当たって千鳥足、昨年は別の所用のために出席できなかったが、今年は出ることにした。
何が大変といって、遠くて・・・10時半開始の研究会に出るのに、何故か起床は7時過ぎ。道中、阪急電車では殆ど寝倒していた。今回の研究会では古代史に関わる報告はなかったのだが(その所為か、むかし府大でお世話になったH本先生に「君は何処にでも現れるなぁ」と呆れられる)、ビザンツ史のN谷先生などにご挨拶するため。なお、
「折角、関学に来たんだし」
と、先月に遠路はるばる府大まで相談にきて下さった学部生さんに声をかけて、午後からのシンポジウムの途中で中座、一時間ほど研究の経過をうかがったりする。シンポジウム主催のH本先生、本当に申し訳ありません。そのシンポジウムだが、バルト諸国の歴史認識問題について扱う。こりゃまた、正面からやらねばならぬが骨が相当に折れる難問だな、と唸る。その場にはバルト諸国の人くらいしか遠来の客はいなかったが、これでロシア人がいたらロシア語で大激論が展開されたことであろう。ホットであると同時に(舞台設定が)マイナーで、しかしながら古くて新しいオーソドックス、という絶妙なテーマ設定は、流石、と唸らずにはいられない着眼点。
そして夜、何を考えたのか、懇親会に出席。二日連続の酒か。いやそれより、部外者が何をやっているんだ・・・懇親会場の出入り口でバルトからのお客にバッタリ鉢合わせた時に、思わず
「イズヴィニーチェ(失礼)」
と、久方ぶりにロシア語が口から出てしまい、苦笑したりもする。二次会は遁走した。それにしても、セレウコス朝史の専門家である田中穂積先生がお越しでなかったのは、残念だ。