岩本悠講演会「世界という名の学校で」

昼まで寝ていた。風邪もだいぶんマシになったところで大学に出て、夕方に立命館へ。風邪がぶり返す危険性を推してまで衣笠に赴いたのは、立命館の産業社会学学生委員会が主催する、岩本悠氏の講演会、「世界という名の学校で」に出席するためである。
悠君と私の付き合いは、時間的にみればさほど長くはない。ただ、一緒に過ごしたところがイランのテヘラン〜マシュハド間往復行であったり、ヨルダン〜カイロ間往路であったりするから、相当に濃いモノではある。その経験からいわせていただくと、「世界という名の学校で」という講演会タイトルは、まさしく彼に相応しいモノではあるのだ。
カイロで別れて以来、私と彼が会ったことはなかったのだが、その間に彼は本を2冊出している。何より彼が主著で打ち出した
「流学」
という概念は凄い影響力を持ち、今日の講演会の参加者でも、この本を持って彼のサインを求めている人が列を為していた。着々と信者を増やしているな・・・
今は普通に社会人をしている彼であるが、やっていることはなかなかに凄い。

  • ユーラシア横断をやって、
  • その記録をまとめた本を(自費出版で!)出して、
  • その印税でアフガンに学校を建てて、

なんて凄いことをやっていて、未だ二十代である。話が面白くない、わけがない。従って話が一本調子になっていてもおかしくないのだが、これが適度に
「近くの人とペアになって、お互いのことについて話し合って理解を深めて下さい」
などと、聴衆にも参加を求めたりして、関心を切らさない。「巧いな!」と、幾度となく唸った。
旅をしていたころからそうだったのだが、彼は特異な人だった。概して旅人は「話したがり」が多いと思うのだが、彼は「聞きたがり」だった。人の話を聞き出すのが実に巧いのだ。それに、基本的には観光に殆ど興味を示さなかった。そうした経験が、今の彼を作っているのだろう。話の聞かせ方、場の作り方など、非常に勉強させてもらった講演会だった。