エディンバラ・レポート16:未知との遭遇を求めて?

※この原稿は2月24日に書きました。


皆様、ご無沙汰いたしております。如何お過ごしでしょうか。
お待たせいたしました。ネス湖を含めたハイランド・ツアーから帰ってきました。二泊三日、けっこう強行軍な日程でしたが、そこはそれ、たっぷり堪能してきました。以下、粗々ながら報告します。

初日(2月20日

前日はなんと夜の8時から10時近くまで、大学のソーシャル・プログラムというやつでスコットランド式ダンスのレクチャー。疲れていないわけもないが、そこはそれ、根性で回復したことにします。ちなみに今日の起床は6時。気違いですか。とにかく、7時頃のバスに乗ってロイヤル・マイルまで出ました。
同じIALSの人間で一緒に来るのはスペイン人のエレナとウィリアム(スペイン語ではギリエム)、スイス人のエレノアにブラジル人のカミラの4人、総勢はなんと29人。ミニバスは満杯です。ちなみに私は唯一の日本人参加者でした。こんなケースが多いな・・・

さて、一行を乗せたバスは先ず、宿場町や名所旧跡を幾つかめぐっていきました。特に恐ろしかったのは、スコットランドのジャコバイト派が決定的な敗北を被った戦場。戦場には案内のための博物館が建てられているのですが、床や戦場に、此処で叩きのめされた有力家系の名が刻まれていました。
そしてネス湖へ。スコットランド方言では湖のことをLochといい、ネス湖はLoch Nessとなります。で、そのネス湖は地球のプレートとプレートの間にある溝なんだそうです。だからやたらめったら深いらしいです。そんな話はさておいて、此処を訪問するのは小学生の頃からの果てしない夢でした。
「僕がネッシーを見つけてやるんだい!」
とか真面目に信じてましたからね。残念ながらネッシーはいなかったが、湖を見ただけで満足でした。


で、バスはこの後、スカイ島にて投宿。ちなみに私は何故かしら、運転手(兼ガイド)氏から、全員共用のウィスキーを宿まで運搬する役目を仰せつかりました。とほほ。おかげで、参加者全員に名前をおぼえられることに。

二日目(2月21日)

朝、比較的スッキリと目覚めた私とは対照的に、集合時間の30分前に起きてきたウィリアムは死にそうな顔で、
「俺壊れてるよ」
・・・どうやら、昨夜に行ったバーで呑みすぎたらしいです。飯は正直不味いところでしたが、その後のバンドの演奏が良かったということで。私はバンドの演奏が始まった1時間後に脱走したので詳細は知りません。
さて、本日はスカイ島周遊。残念なことに終日の雨で、靴やジャンパーがびしょ濡れになってしまいした。ただ、私はそれでも満足でした。なぜならこの島は、20世紀前半のヘレニズム学を牽引した巨人のひとり、W.W.ターン卿に所縁の深いところなのです。
「O戸先生、N井先生、此処がターン卿所縁のスカイ島です!」
とか日本語で叫んでいたらから、同行者誰も解らなかったと思います。ただ、本当に酷い天気で、私は台風リポーターになった気分でした。ちなみにスカイ島ですが、ものすごい雑な言い方をしますと、秋吉台東尋坊が合体したような地形です。



三日目(2月22日)

本日でハイランド・ツアーも最終日ということで、終日バスに揺られていました。エディンバラに近づくにつれて天気が良くなっていったのは癪でしたね・・・とはいっても、多分スカイ島は天気が悪いままだったと思うのですが。
エディンバラ帰着直前、スターリングに寄りました。此処は、13世紀末〜14世紀初頭にかけて、スコットランドイングランドから独立を勝ち取った際の決戦場となったところのひとつですが、綺麗なたたずまいの市街と近代的な建物がどかどか建っている大学周辺のコントラストが鮮やかで、
「此処で勉強するのも良いかも・・・」
と、思わず溜息をつきました。いずれにせよ、大学の敷地の中に立っているウィリアム・ウォリスモニュメントが閉まっていたことですし、また行かなくてはなりません。

で、夜はロイヤル・マイル沿いのパブにて一杯。その前にヴァレンティーナのフラットに寄りましたが、彼女の妹さん二人が来ていました。エディンバラ組はエディンバラ組で楽しんでたようです。こちらはこちらで羨ましいな・・・