公開シンポ「祇園祭から世紀末ウィーンまで―京都の中のドイツ文化」

軽く体調がすぐれない状態が続きますが、今日は府大で文学部主催の公開シンポ、「祇園祭から世紀末ウィーンまで―京都のなかのドイツ文化」に参加してきました。会場の府大・第7講義室に入ったのは定時ギリギリ、いつもながらこの部屋に入ると、自分が責任者を務めた数年前の研究会での未曾有の大失態を思い出し、当時の鬱な気分を思い出すので嫌なのですが・・・音響担当者としての経験なんですが、ワイヤレスしかマイク設備がない部屋って、凄く嫌だし怖いんですが、あまりそういった事情は斟酌されないんだろうなぁ、と思います。
縁が薄そうなシンポジウムに参加してきたのは、私の指導教官が一枚噛んでおられるため、という理由に拠っていたりします。同様の理由で、後輩N田さんも駆け付けていました。ちなみにラインナップは以下の通り↓

  • 深見茂「祇園祭山鉾行事の運営とゲルマニスト―ドイツ市民文学研究者の京都町衆としての視点」
  • 吉岡いずみ「女性と社会―ドイツの運動と京都」
  • 浅井麻帆「ウィーン分離派と京都」
  • 横道誠「タウトの『桂回想』―水墨画とドイツ語テクスト」
  • パネルディスカッション

ドイツ(オーストリアまで含めて)と京都、というと一見関係が薄そうに思えますが、やはりそこは古都、関連性を探るといろいろと見つかるモノですねぇ。冒頭の講演、日本の中央集権化と祇園祭の危機、という話を聞いているときに思ったのは、「『プロイセン的集権化を強力に推し進めたドイツ』という構図は妥当だろうが、そういってもドイツって地域色が強い(というよりバラバラ)のに、日本で中央集権化が恐ろしいほどのレヴェルで達成されてしまったという差異はあるわなぁ」ということでした。