名捕手、遂にダイヤモンドを去る

古田監督が退任会見 現役引退も表明=差替
プロ野球ヤクルトの古田敦也捕手兼任監督(42)が19日、東京都内で記者会見し、今季限りで監督を退任し、現役も引退することを表明した。(共同通信


また一人、漢の中の漢が、グラウンドを去る事になった。
実のところ、今年限りで、古田敦也がグラウンドを去るのは、シーズン開始の早い段階で予測していた。というより、古田が出した中村紀洋の獲得要請に、スワローズ球団が「No」といった時点で、嫌気がさして三行半を叩きつけるんじゃないのか?と、これは友人そーちょーと酒を呑みながら話していた予測である。予測が完全に当たってしまったわけだから驚きは殆どなく、「やっぱり」と思うのだが、しかしやはり残念である。


そういった今年の話はさておいて、古田というと、やはり2004年の球界再編騒動の時に発揮した、卓絶したリーダーシップを思い出す。あの時の選手会長古田敦也の獅子奮迅の活躍は、もう壮絶の一言に尽きた。球場で、それもあの甲子園球場で、敵・味方全てのファンから敬意を込めた喝采を、引退間近でもないのに一身に浴びるプレーヤーは、そうそういないのではないか。私も(球場外から、であるが)敬意を込めた拍手を彼に捧げた一人である。
あの年のシーズンオフ、セ・リーグのMVPにわがドラゴンズの川上憲伸が選ばれた時、大喜びしながらも、心の何処かで
「できれば、古田に『最高殊勲選手賞』をあげたいものだ。それが適わなければ、MVPが古田でも、全く遺恨はないな」
と、不思議な事を思ったものである。おそらくは不世出の、希有な漢であった。「あった」と、完了形で語らなければならないのが、やはり残念である。
惜しむらくは監督としての手腕をふるうに相応しい場を得なかった事だが、これは近いうちに、何処かに得るであろう。その日を楽しみに、今はこの不世出の名選手、この佳い漢を、やはり敬意を込めた拍手で送り出したいものである。


このニュースに耳目が集まりすぎて、同じ1990年入団組の佐々岡の引退と、わが岩瀬仁紀の3年連続40セーブの偉業に注目が集まらないのは残念である。今年の春、
「もう一度、佐々岡に優勝争いをさせてやりたい」
という週刊誌のコラムを読んだ時、不覚にも落涙してしまったものである。佐々岡には、本当にもう一度、優勝争いをさせてやりたかった・・・先発に固定していれば、とうに200勝をしていたであろうに、と、それもまた残念である。