アフガン拉致被害者の殺害について

アフガンで拉致された伊藤さん、遺体で発見=州知事
8月28日6時29分配信 ロイター

 [シェワ(アフガニスタン) 27日 ロイター] アフガニスタン・ナンガルハル州のシェルザイ知事は27日、同国で拉致された伊藤和也さん(31)が犯行グループによって殺害されたと認めた。
 伊藤さんは26日、ナンガルハル州で武装集団によって拉致された。
 同知事は「本当に残忍な行為でイスラム教に反する」とした上で、逮捕された容疑者は必ず裁かれなければならないと語った。
 ロイター記者によると、発見された遺体には撃たれた跡があった。知事は犯行グループや、伊藤さんの殺害方法には言及しなかった。アフガンの外務省は伊藤さんが「テロリスト」によって殺害されたとしている。

・・・言葉も無いが、敢えて語を紡がせていただきたい。
正直なところ、この事態、すなわち拉致された人が殺されるという事態は、全くとはいわないまでも、殆ど想定していなかった。それというのも、ペシャワール会という団体がパキスタンアフガニスタン国境地帯で積み重ねてきた年月、その経験に基づく現状把握のシビアさと精確さ、そして現地で果たしてきた役割を、少しは知っているからである。一応、知る限りで大雑把に列挙させていただくと、

パキスタンの北西辺境州・アフガニスタン東部における医療活動(1980年代以降)
アフガニスタン東部での灌漑・農業指導(2000年以降)
アフガニスタン空爆時のカーブルへの食糧支援(2001年)

ざっと、こんなところになるだろうか。現地の要請に従って、しかも情勢が困難な中で活動を発展・多様化してきた同会の行動は、内部抗争で責任を全く果たし得ていないアフガニスタン行政府の業務を代行しているもの(一時拉致された人の解放という誤報が出たこと自体が示しているように、中央政府は全く体を為していない)であり、現地の支持も厚く、彼らへの攻撃は、現地民の反発を買い、ひいては攻撃者自身の首を絞める結果を招くものといわざるを得ないのである。それ故に、拉致された人が殺されることは絶対にあり得ない、と確信していた。これは、同会についての知識が深い人であればあるほど、その傾向が強かったのではないかと思う。
そもそも、1980年代以来20年以上にわたって活動してきたという事実は、それだけで金字塔である。ペシャワール会が活動拠点を置くペシャワールは、少なくとも5月には日中の気温が40度を優に超え、盛夏には50度を超す日すら珍しくない。そんな中に身を置いた(挙げ句に体調を壊滅させた経験を持つ)こともある者として言うが、あれは本当にきつい。まして、彼らが活動してきた時期は、パキスタンアフガニスタンも政治情勢が激動を続けてきた時代である。過酷な環境の地域で、激動の時代に活動を継続してきた同会の現状認識が、中村代表をはじめとする幹部諸氏が自戒するように
「認識が甘い」
ハズは、あり得ないのだ。というより、現地の土着レヴェルで彼らが想定できないことは、外部の者には想像し得ないと言って過言ではあるまい。
だが、それにしてもペシャワール会のメンバーが拉致された時点で、状況が決定的に混迷の段階に入ったことは感じた。そもそもアフガニスタン情勢をみる時、ペシャワール会のメンバーが拉致等の災禍に遭わないということは、ほぼ私にとっては前提となっていた。それが、拉致され、挙げ句に殺された。これは、もはや現地の反米諸勢力が、無差別攻撃の段階に入ったというべきなのだろうか。敢えて「タリバン」とは言うまい。そう称してしまったが最後、現地情勢を過度に単純化するとの恐れがあるから。情勢の悪化を受けて、日独伊三国のバーミヤーン調査団がアフガンから撤退を余儀なくされたのは、昨年のことだった。そのメンバーのひとり、山内和也氏が静岡県立美術館での報告のとき、客入れ時にスライド機器のウォーミングアップ用に流していたのが、NHKが作成したペシャワール会の活動レポート番組だった。おそらくは、同じ場に同じ時期にいた者としての共感を込めていたのだろう。それを思い出しつつ、
「しかし、やはり、信じ難い」
との思いを新たにせざるを得なかった。
最後に。亡くなった伊藤氏の冥福を、心の底から祈るものである。