第73回西洋史学会@名古屋大学参加記

5月28日更新

西洋史学会が対面方式で行われるのは、2019年以来、実に4年ぶりのことです。今回は開催校が名古屋大学ということで、半ば帰省ついでの学会直接参加でした。まぁ、初日の記念講演を除けば対面方式のみだったので、全部発表を聞きたければ会場に行くしかなかったのですが。

聴講(参加)したのは、下記の通りです。

初日(特別講演)

2日目/午前

  • 渡井葉子(中央大学人文科学研究所客員研究員)アケメネス朝ペルシア支配下バビロニア史料に言及される王家の女性(古代史部会)
  • 岡田泰介(高千穂大学)  前 411 年政変におけるサモス駐留軍の政治動向(古代史部会)
  • 山本浩司東京大学) 英国チャールズ一世下のグローバル経済・石鹸・ジェンダー(近世史部会)
  • 向井朋生(フランス国立科学研究センター) ローマン・アンフォラの「使い方」(古代史部会)

2日目/午後

小シンポジウム1:移動するエージェンシー ――古代オリエント地中海世界における諸相――
オーガナイザー:伊藤早苗(名古屋大学)、周藤芳幸(名古屋大学)、司会:周藤芳幸

 

報告の合間ともなれば、そこは全国から集まった皆さんとの久闊を叙する場でした

「久しぶりにお元気な姿を拝見できて、本当に嬉しいです」

この世辞に、これほど実感がこもった学会があったでしょうか。嗚呼、人と会うのは良いモノだなぁ、としみじみ思いました。しみじみしすぎて、せっかくカメラを持って行ったのに写真を一枚もとっていません。

学会後は、名古屋市内の某大学に勤めている後輩亀G(仮称)と久しぶりに会って、一献傾けつつ近況を報告し合いました。充実した週末でした。

補記:

名古屋で、非常勤先のひとつ・近大の西洋史の教員が、私と近いプトレマイオス朝史の専門家であるI田さんに交代したことを知りました。へ~、と思っていたら、名古屋から戻った翌々日に、そのI田さんと長瀬の近大キャンパスでばったりお会いしました。知らざれば引きあわず、知れば巡り合わせると、そんなものでしょうか。

 

大阪府高齢者大学校「世界史を楽しく学ぶ科」講義録

5月28日更新

大阪府高齢者大学校(略称コーダイ)での講義、担当の2回分をなんとか終えてきました。今年は

「世界史を楽しく学ぶ科」

と、少々名前を変えての講座です。

本年度は、講座のディレクターさんから

「担当する時代の人物を取り上げ、人物を通して時代を掘り下げる」

というテーマを与えられました。担当2回で取り上げた人物は、以下の通りです。

前半(4月27日/諸地域の形成②ギリシア/ヘレニズム):

後半(5月11日/諸地域の形成③地中海世界):

当初はポリュビオスではなくハンニバルを取り上げる予定だったんですが、ポリュビオスに差し替えました、私の専門分野だから、という第一の理由に加えて、彼を取り上げるとヘレニズム・ローマ共和政・カルタゴ全てを対象とすることができるという利点もあり、変更した次第であります。しかし、・・・最後は、今回も絶賛・駆け足になってしまいました。

また、毎度のご意見として
「カタカナが多くて頭に入らない・・・」
といわれてしまい、このあたりは如何すべきか。この課題はまったく解決の目処が付かず、己の無力を恥じるばかりです。

森ノ宮での講義の後は、今城塚古代歴史館を訪れました。これは、同館での企画展
「淀川の考古学」
に、先月の天理での散策で知り合った、さる御仁が採集した考古遺物が展示されていると聞き、見学してきた次第です。興味津々で見学してきました。今城塚も初めての訪問でした。かなり見ごたえがあるところで、次はもう少しゆっくり歩きたいところです。

ライムハイク2023 vol.2 奈良山の辺の道

6月11日更新

本ブログで幾度も紹介しているライムバンドの、春のお散歩イベントに参加してきました。前日に岸和田で授業があり、前泊を考えたのですが、スタート地点の天理は岸和田から2時間、京都の拙亭に帰るよりも遠いのです。

「一度帰って、準備を整えよう」

と思ったのは通常の思考でしょうが、前乗りぐみの面子とアップされる写真を見ると、どう考えてもハイキング当日よりも前夜祭の方がメインイベントになっていました。これは失敗したかな・・・

などと思って、さてハイキング当日です。早起きして、天理に到着したのは8時45分のこと。ライムバンドの強者が群れ集い、駅前広場の一角を占拠していました。

「ハイキング」

とはいうものの、ほとんどは平坦な道でした。おかげで疲労を感じることはありませんでした。その分、歩きながらの雑談に花が咲きました。

驚くべきは、子供たちの元気なこと。ライムバンドの面々は山登りで身体をつくってきた猛者ばかりですが、子供たちは一貫して先頭を譲ることがありませんでした。これが若さか・・・

最後は三輪神社に詣でて、神社から少し離れたところにあるそうめん屋でそうめんを食べた後、昨日の前泊組の泊まった宿に寄ってから解散となりました。

山辺の道にて

 

岸和田健老大学公開専門講座 「西洋古代史 」 第1回講義録

4月23日更新

2月の講演に引き続き、本年度上半期は岸和田健老大学で、毎月1度の公開講座を持つことになりました。京都府立大学のI上先生からご紹介いただきました。ありがとうございます。

岸和田健老大学ではこれまで、西洋史の講座はなかったとのことです。そんなところで、馴染みが薄い古代史の講義をしようというのですから、なかなかに緊張するところです。本日は全体の導入として、

「文明のあけぼのと大帝国の成立 -ピラミッド からペルセポリスへ-」

と題してお話をしました。ざっくり云えば、メソポタミアエジプト文明からペルシア帝国に至るまでの概説です。現地に行ったという受講生もちらほらいて、かなり熱心に聞いてもらえました。

講義後は、岸和田城を見学して帰りました。今は三層の復興天守でが、江戸末期に落雷で焼失するまでは五層の天守があったとのこと、相当な威容だったと想像します。

岸和田城にて

 

旅の空よ、再び~ベトナム行~

4月4日更新

 

一週間ほど、ベトナムに遊びました。訪問したのは、ハノイとフエです。

ハノイは、つまらないですよ」

と友人T君に云われたのは航空券を購入した後のこと。たしかに『地球の歩き方』を見ても、ベトナムの見どころは、サイゴンを軸に南の方が圧倒的に多いのが実情です。

しかし、実のところ、そんなことは考えていませんでした。旅仲間たちの海外復帰報告を読んでいたらムラムラと来て、久しぶりにSkyscannerを検索していたら、最後まで安いチケットが残っていたのがハノイだったというだけの話です。また、これまで行ったことがない古都フエに行ってみたいとずっと思っていました。ハノイサイゴンを比べると、ハノイの方が6時間ほど現地までの所要時間が短かったのです。これが、決定要因となりました。

ただ、少し因果は感じました。第2SARS(SARS-Cov-2)の前、最後の海外寄港地はハノイでした。そこから旅路を繋ぎ始めるのも、また縁かと思ったのです。

面倒くさかったのは、そこまで考えた後です。実は私は、この第2SARSのワクチンの接種が2回しか済んでいないのです。そのため、日本入国の際に第2SARSの陰性証明を出さないといけない。そうすると、現地で病院に行かなければいけない。で、検索してみると、これは何とかなりそうだというので航空券を買いました。

出発日は、3月14日です。朝早いので前日に西成に泊まったので、その時点でもう旅は始まっている感じでした。そして空港でベトジェット航空のカウンターに行ってみると、長蛇の列ができていました。3時間前に着いたんだがなぁ・・・そう思ったら、長蛇の列は、ホーチミン(=サイゴン)行きの列でした。ハノイ行きは、私の前に5人いたかな、というところ。待機時間も含めて、手続きは10分もかからず終了。航空券が安かった理由が、よくわかりました。実際、機内でも、私の両隣の席は空いたままでした。

中国上空を経由して(長江を空から見たときには、感慨深い思いでした)、到着して最初に対処したのは、帰国時に必要となる陰性証明を出してくれる病院をみつけること。これは、ハノイの旧市街に東京インターナショナルクリニックという日系病院があったので、比較的容易にクリアできました。ただ、その料金には思わず目をむきました。

PCR=170万ドン(1万円弱)、抗原検査=20万ドン。

じゃあ抗原検査で、と思ったら、この病院でやっている抗原検査は、日本では陰性証明として受け付けてくれないとのこと。だったらPCRしかないわけです。病院の人が、苦笑というよりウンザリしたような顔をしていたと見えたのは、私の気の所為でしょうか。

さて、到着初日にいきなり夜行バスに乗ってフエに行きました。寝台バスに初めて乗ったのですが、これが思いのほかぐっすり眠ることができ、旅の疲れを一切感じることなくフエで活動できたのは幸いでした。そのフエでは、初日と二日目は自転車を借りて(7万ドン×2日=14万ドン)で走り回り、三日目はフエ故宮の見学に宛てました。最大のお目当てがフエ故宮だったのはいうまでもないのですが、・・・なんと主宮殿の太和殿、そして建中殿が改修工事中でした。ガックリ。それでも壮大な宮殿を見て歩くのに3時間ほどを要しました。

フエ旧市街の門のひとつ

ダンナムザオ/ナムザオ(南壇)殿ー郊天祭祀壇(こちらを参考に説明を付けてみました→https://www.vietnamhuekanko.com/

紹治帝陵

明命帝陵

啓定帝陵

嗣徳帝陵

フエ故宮

夜行バスでハノイに戻ってみると、ベトナム航空のキャンペーンをやっていて旧市街周辺が歩行者天国になっていました。ハノイでは、病院でのPCR検査のあとは博物館の見学、旧市街観光、発掘現場の見学、そしてホーチミン博物館見学と、事前に

「(サイゴンに比べたら)つまらない」

と聞いていた割には、楽しめました。本当はホーチミン廟も見学したかったのですが、たまたま行った日が日曜日ということで、生徒たち(大学生はいなかったと思います)が大量に社会見学に押し寄せて長蛇の列ができており、断念しました。ホーチミン博物館は「近代ベトナム語・書記法の確立過程」の展示の体を為していて、そのような見方をすると、極めて興味深い展示でした。

ハノイ旧市街の一角

タンロン遺跡(旧ハノイ城跡)端門

北ベトナム軍司令部

ホーチミン廟(と長蛇の列)

ハノイ駅近くの踏切

ハノイ文廟

ホアンジエウ18番遺跡

東河門

2都市で一週間弱、旅の再開にはちょうど良かったと思います。ちなみに日本出国時とは打って変わって、帰国時のハノイ空港は長蛇の列の回転が、恐ろしく悪かった。第2SARSのワクチン3回接種者の証明書提示手続きで、恐ろしく手間がかかっていました。これ、なんとかしないと日本へのリピーターは増えないだろうなぁ、と皮肉な気分になってしまいました。

春の鬼そば屋訪問

4月15日更新

いつもながら、福知山へ行くのは一日仕事(場合によっては二日仕事)になります。この春も、恒例となった「鬼そば屋」訪問を果たしてきました。

二条駅まで自転車をこいで、そこから山陰本線に乗って、いったん園部駅で電車待ちをします。この間に、園部城の近くまで歩きました。いまは高校になっているようで、中には入りませんでしたが。

園部から綾部、そして福知山駅に出て、今度はバス待ちです。駅を出てからバスの発車まで、40分ほど間が開きます。バスに乗ったのは、駅からは私だけでした。この路線を維持している丹海バスは、本当に頑張っていると思います。この路線がなくなると、本当に訪問者の足がなくなってしまうので、困りものなのです。

雪もなく、珍しく好天に恵まれた一日、蕎麦と七姫との雑談を楽しんだ一日でした。

どんどん華やかになっていく店内

七姫、両丹日日新聞に載りました

 

橿原散歩

奈良は京都の隣県ですが、奈良市はともかく、橿原ともなると、やや遠く感じてしまいます。実際、拙亭から京阪と近鉄を乗り継いで1時間半ですから、やや遠いと感じます。

それでもたまに橿原に行くのは、ここが明日香村観光の起点であることと、橿原の考古学研究所と附属博物館に行く用事が、たまにあるからです。神宮で人が多いと思ったら、今日は祝日でした。

先日、イスタンブール大学のHamdi Şahin教授が古代史研究会で報告された際に

「日本では、どの考古学博物館がお勧めですか?」

と発表の後で参加者に質問され、

「あ、・・・日本には全国的な規模の『考古学』博物館は、ないかもしれない・・・」

と、一同絶句したものです。しかし、地方規模であれば見応え充分な場所は多々あると思います。この橿原の博物館は、そのひとつでしょう。そんなことを考えながら、博物館をじっくり見学して回り、その後は大和八木の今井町まで足を伸ばして、散策の一日となりました。

橿原神宮
橿原考古学研究所附属博物館