二つめの『訪問国滅亡』:ネパール王制廃止

今日は、やはりこちらの記事。

<ネパール>王制廃止、共和制に移行 大統領権限めぐり紛糾

カトマンズ栗田慎一】ネパールの憲法制定議会は28日深夜、王制を廃止し共和制に移行する決議案を圧倒的多数で議決し、同国は連邦民主共和国としてスタートした。しかし、国家元首となる象徴大統領の権限をめぐり、各党間の水面下の協議が紛糾、議会の開会が半日遅れた。首相には4月の選挙で第1党となった共産党毛沢東主義派(毛派)のプラチャンダ書記長が就任する見込みだが、今後の新政府の船出に大きな不安を残した。
5月29日10時18分配信 毎日新聞


ネパールについては、可能な限り記事をフォローしてきた。王制廃止への流れは昨年末に伝えられ、本ブログでも2007年12月25日付け記事にて取り上げたが、遂に共和制か。何度も繰り返す昔話で本当に恐縮なのだが、私がカトマンドゥとポカラで下痢を癒していた2000年6月、ネパール王制の顚覆を予想することは全く不可能だった。ビレンドラ国王のもと、王制は盤石で小揺るぎもせず、国民は王室にごく自然に敬意を払い、インドに比べて遥かに過ごしやすいカトマンドゥには、多くの旅人が溢れていた。この旅人が落とす金を激減させたのが、2001年から続く政情不安だった。
『彼の国はどうなることか』『彼の国は何処へ行くのか』
と、信じ難い想いと固唾を呑む思いを複雑に織り交ぜながら、情勢を見守ってきた。今まで永きにわたり、王制に慣れきっていた国である。おそらくは、まだまだ混乱が続くだろう。願わくは、平穏な日が一日も早く訪れんことを。そして旅人の楽園の復活を、心の底から願っている。私が足繁く訪れた日本食レストランは健在だろうか。健在であって欲しいものだ。かつて、私はこの国を「奇跡の国」と評した。中国とインドという二台ワガママ大国の間で国家を維持していること自体が奇跡である、と、そんなニュアンスを込めたのである。その治世ゆえか、揺れ続けた結果の選択が、国の根幹たる王制の解体だった。
それにしても、これで、過去に訪問した国のうち、『滅亡した国』は、事実上二つめ、ということになるのだな。
今回は、敢えてこちらの本を紹介。

チベット―全チベット文化圏完全ガイド (旅行人ノート)

チベット―全チベット文化圏完全ガイド (旅行人ノート)

空前の名著との誉れが高いこの本の初版の画像が出ないのが残念だ・・・カトマンドゥ市内の古本屋で、幾度となく見かけた本だった。嗚呼、嗚呼・・・