書評:小島剛一著『漂流するトルコ―続『トルコのもう一つの顔』』

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

名著『トルコのもう一つの顔』の出版より20年、我々は再び、新たなる名著に接することができた。今、私はそのことを、心の底から喜ばしく思う。そしてこのことは、本書に接する人すべての幸福であることを確信する。

現代トルコ論の名著、小島剛一氏の著書『トルコのもう一つの顔』が出版されたのは、1990年のことである。私がその存在を知ったのは2003年、前川健一氏の『旅行記でめぐる世界』を通じてのことであった。

フランス、ストラスブール大学で博士号を取った言語学者による、地道な実地調査と、その中で出会い、語らいあった人々との触れ合いから産み落とされた、珠玉の一冊。旅行記としても秀逸だが、そこで語られている情報が古くなるにつれて、今度はさらに、資料としての比重が増加してくるという、まさしく名著。『トルコのもう一つの顔』を一読しての私の感想は、そうしたものであった。その圧倒的な存在感に、すっかり魅了されてしまったということである。

そのとき、私が思ったのは、以下の二つのこと。−いや、実はこの二つは同一であるが。

「早く、この本の続編が読みたい」
「何故、この本の著者の消息は、ほとんど不明なのだろう?」

そう思い始めてから、7年がたった今、・・・ようやっと、待ち望んだ、続編が世に出されたのである。実際の刊行年からは、実に20年の月日を経ての、新著の刊行なのである。我ながら遺憾なのは、在英中に出された本であるため、同書の出版を知ったのが、実に刊行後1年も経ってからだったことである。

さて、著者も、こうした事情を充分に承知しており、本書においては
「前著からの継続」
という側面を、非常に強調している。本書の序盤では「前著」である『トルコのもう一つの顔』の執筆の様子が活写され、その出版に至るまでの軌跡が述べられる。編集の都合で、抑制的な筆致に改められたとの描写には唸った。当人は不服のようだが、その努めて平静を装う筆致によって、逆に行間にエネルギーが溢れ出し、却って名著としての質を高めているというのが、私の感想であるのだが。

一方で、筆者がしばしば、トルコ当局からの干渉を受けているという告白は、自然なものと思われた。それだけに、一度はトルコからの国外追放の憂き目にあった筆者が、再びトルコに入国して調査を重ねる機会を得た、との報告には、驚いた。その驚愕は、筆者も同様であろう。驚愕と歓喜、その入り混じった、溢れる思いは、第五章「再びトルコの土を踏む」の章に横溢している。とりわけ、「少年と折り紙」の節など、私は読む度に、涙腺が全開になるのを抑制するのに必死になる。多分、筆者も、そして筆者に折り鶴の作成を依頼した薬局の主人も、涙していたのだろうと想像する。だって話が優しすぎる。

それと同時に。本書を彩る特徴は、驚くほどの刹那的筆致である。すべての記述が、

「来るべき再度の、そしておそらくは無期限の入国拒否」

に向けて展開しているといっても過言ではない。それは、言語というトピックが、優れて民族/国民国家形成という、近代的課題と不可分のものである―という事情と密接にリンクしているだろう。筆者が優れた少数言語の研究者であるということは、ましてその人物が、トルコが図抜けた親近感を抱く日本の出身であるということは、トルコという

「近代化という特殊時代的要請の中で、アタチュルクという傑物が強引に組み立てた国家」

にとって、きわめて危険なものとなり得る。

これは、「国語」の洗練、および国民的統合という課題にきわめて積極的な国にあって、もっともその課題についてナイーヴな地域である(であろう)ストラスブールに住んでいる、という筆者の個人的コンテクストも、無縁ではないと思われる。そうであればこそ、筆者は、そうした学問的良心に対して、恐ろしいほどにストイックなのである。

だからこそ。

「現在のトルコは内戦状態」

という筆者の指摘は、万鈞の重みを持つ。多くの(少なくとも、私が現役だった2000年ごろまでの)バックパッカーが、おそらくは理想とするであろう

「現地に密着した旅」

というスタイルを例外的に実践し得ている人だからこそ吐けるこの一言には、旅人としても、研究者の卵としても、羨望を禁じ得ない。

そして。
再度の入国から十年後の2003年、筆者は覚悟の通り、二度目の国外退去という憂き目に遭う。そしてそれから7年後、筆者は本書を世に問うた。そのイントロ部分を『旅行人』誌で見たときの、あの血が沸き立つような興奮は、到底忘れられない。

繰り返しになるが、最後に感想を、改めて。
我々は今、現代トルコ論の名著を得ることができた。その名著を、日本語で読むことができること―その幸福を改めてかみしめたいと思う。