イスラームについて思うこと

※諸事情により、ミクシィより転載しました。

エディンバラのIALSの私のクラスには一人、イラク人の女性が同級生として机を並べていました。おそらく40代にはいっていたと思うのですが、授業中に「着衣習慣について」というテーマで話をしていた時のこと、こんな話をしました。

件の女性は獣医学の研究を志向しているのですが、エディンバラに来る前、留学先をフランスにするかイギリスにするかで迷ったのだそうです。その彼女が、最終的にエディンバラを選んだのは、もともとエディンバラ大学が医学・獣医学で高名な大学である(コナン・ドイル卿はエディンバラ大学医学部の出身で、開業医をやっていた時の暇潰しで書き始めたのが「ホームズ」シリーズ、というのは有名な話)ということもあるでしょうが、もう一つの理由として、
「フランスの大学では頭部を覆うスカーフを着用することができない」
ということでした。
日本でも最近、たまに見かけますが、ムスリム女性に特有の格好というと、頭部をすっぽりと覆うスカーフ(ヒジャーブもしくはヘジャブといいます)がもっとも目立つでしょう。そしてマントーというロングコート、これが一般的な服装になります。ヘジャブには地域差もあるんですが、まあそれはさて措きまして。
で。
フランスでは、公的な場、例えば大学などで宗教的な服装を禁じています。ムスリム女性のヘジャブは戒律で定められた服装なので、「宗教的」とみなされ、禁則事項に抵触します。ですから、フランスに留学すると、ムスリムの女性はあの服を着ることができないのです。
 
彼女の話を聞いていて、二つの景色を思い出しました。

ひとつめは、2000年のユーラシア横断の時の実体験。イラン−トルコ間のパザルガン・ギュルブラックボーダーを越えた時、イラン側から入ってきた女性がヘジャブをサッと外して頭部を露わにしたのです。
「やっぱりあれ、鬱陶しいんだな」
と、その時は思ったのですが、それからトルコ国内で気が付かざるをえなかったのが、意外なほどのヘジャブ着用率の高さ。トルコは中東イスラーム諸国の中で、もっとも脱イスラーム色が鮮明な国で、ヘジャブは決して着用を義務づけられたものではないハズなんですが、それでも多くの女性が伝統的服装に忠実である様子をみて、
「あのスカーフとコートは、短絡的に、女性への抑圧、もしくは人権侵害と捉えてはいけない」
と思いました。
同時に思い出したのは、2001年のアフガン戦争の時のこと。米軍がカーブルを占領した後、ヘジャブを外した女性たちが歓喜する様子が大きく報道されました。あの映像は、
イスラームによる、女性抑圧の象徴としてのヘジャブ」
という図式を印象づけるのに非常に効果があったと思います。しかし実際には、ヘジャブを外しているのはカーブルの一部の女性たちだけでした。その後のアフガンに関連する報道では、相変わらず女性はヘジャブを着用しているケースが圧倒的多数です。つまり、カーブル「解放」の時のあの映像は、殆どやらせに近いものがあった、ということですね。

話をエディンバラに戻しますと、IALSにはムスリムが(とりわけサウジアラビアからの留学生が)多かった、というのは以前にも書いたとおりです。これは男性だけではなく、女子学生も多かった。その多くが、おそらくは本国と同様に、ヘジャブとコートを着用していて、これを授業中も外すことはありませんでした。で、それに対して目くじらを立てる教員は皆無。これは、イギリスでは彼らのルールをごく自然に許容している、ということを意味しています。それは、どう考えても仲が良いとはいい難いイングランドスコットランドが「連合王国」という枠組み内で共存する中で、あるいは幾多の植民地を支配する「大英帝国」という枠組みの中で培ってきた、多様な要素が共存するための知恵ということでしょう(もっとも、別に他のナショナリティーの人が授業中に帽子をかぶっていたところでとやかく言われることはなかったんですが)。

これが日本だったら、
「授業中に帽子をかぶっている奴は礼儀知らずだ」
という議論がなされるところでしょう。もっとも、かくいう私にしたところで、昔は夏に頭髪を剃り上げていたため、この時期は頭にバンダナを巻いて授業を受けていたものですが。
そんな議論が研究室でなされる様子を横目で眺めつつ、エディンバラでの景色をふと思い出しました。