映画鑑賞「天使と悪魔」

前回の「消息」で「講座後の自家中毒が、初めて出なかった」と書きましたが、そう書いた夜に、ものの見事に発作が起きました自家中毒。何と、夢の中にエディンバラの同窓たちが大挙して出て来ました。しかも、何故か下鴨劇場の同期たちと交流していやがりました。・・・で、起床後、
「あいつら一体、何語で交流していたんだろう?」
と、思わず自問してしまいましたね。やはりエディンバラの同僚だったベルギー人のジュリアンは、タームの最終日に「遂に英語の夢を見たぞぉ!」と大喜びしていましたが、私は何語で会話が為されていたのか、遂に解らぬままです。未熟の一言であります。そして、夢の中とはいえ、普通に異国の人間たちと交流している我が同僚たちの恐ろしさには敬服します(←苦情があったら個人的に言いに来て)。
さて、今日ですが、大学が全学休講のままです。その所為で先輩とお会いする予定が流れてしまったのを良いことに、友人F女史を誘って、現在放映中の映画、「天使と悪魔」を観てきました。
正直なところ、この作品の映画製作は難しいだろう、と思っていました。何故かって、同じダン・ブラウン作品であるところの「ダ・ヴィンチ・コード」でヴァティカンの逆鱗を逆撫でしまくっている以上、ヴァティカンの全面協力がどう考えても必要な本作は、正直困難だろうな、と思っていたのですが、良い意味で予想を裏切ってくれまして大満足。本作は、冒頭の舞台がスイスなのですが、此処で交わされている言語がフランス語なので、思わずジュネーヴにいるはずの「エディンバラ組」のエレノアのことを思い出して、気が平静ではいられませんでした。というかむしろ大喜び。そして、この作品はローマ観光案内的なところもありますので、ローマを思い出してやはり大喜び。作品自体としては、原作の削れるところを可能な限り削り落として、コンパクトにまとめた、という感じがしました。映画版の「ダ・ヴィンチ・コード」が、原作版のエッセンスを可能な限り詰め込んだのとは対照的な作りと思います。TVCMの、「前回より解りやすかった」という観客コメントは、そのまま信じて宜しいと思われます。加えて、キー・パーソンであるところのカメルレンゴ(教皇侍従)を努めるユアン・マクレガーの格好良さにクラクラ。
それにしても、この映画の撮影を可能にした背景に何があるのか、「ダ・ヴィンチ・コード」の時は稀代の名教皇ヨハネ・パウロ二世聖下逝去後の動揺という事情が会ったがゆえの過剰反応ということが考えられるのですが、それから時が経って教皇庁が安定したと見るのが妥当であるのかどうか・・・
ちなみに、まったくどうでも良いことながら、先日TVで放送された「ダ・ヴィンチ・コード」を観た時には、テンプル教会やロシュリン礼拝堂を見て、やはり自家中毒で悶絶していました。どうも私は、こういう系統の映画を一緒に観ていると鬱陶しいことこの上ない人間じゃないかと自戒する、今日の映画鑑賞でありました。