ヘイドン・ホワイト講演会

午前中の学部演習が終わった後、慌てて大阪の梅田と難波に行って、所用と買い物をしてきたのですが、どうも難波には思い通りの品がない・・・そんなわけでザッと見て回っただけに終わったのは、急ぎ京都に戻る用事があったからです。そんなわけで、大阪滞在を短めに切り上げて、行って参りましたこちらの講演会↓

アフター・メタヒストリー ──ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義──
日時:2009年10月22日(木)16:20より (開場15:50)
会場:立命館大学衣笠キャンパス以学館2号ホール
   京都府京都市北区等持院北町56-1
◆総合司会:吉田寛立命館大学大学院先端総合学術研究科・准教授)
◆逐次通訳:平賀緑(立命館大学大学院先端総合学術研究科・英語論文指導スタッフ)/岡本充弘(東洋大学文学部・教授)

ホワイトの講演会開始、十分遅れで何とか会場に滑り込みました。
さて、ホワイトはポストモダニズム歴史家の領袖の一人であります。そのナマの講演が聞けるというので、慌てて飛び返ってきたわけです。喋る速度は極めてゆっくり、明瞭で、配布されたハンドアウト無しでも、充分に聞き取れるものでした。
ポスト・モダニズム歴史学については、私がお世話になっている立命館大学大戸千之先生が書かれた「歴史叙述における『事実の正確さ』について」(『立命館文学』597、2002)という論攷がありまして、私はこの論(と申しますか、大戸先生の)の薫陶を受けた人間ですので、どうもホワイトの論調には首肯しかねるところがあります。が、聞いていて何となく合点がいったのですが、彼が批判している「伝統的歴史学」者というのは、「歴史的事実」のラインに沿った「文書第一主義」の研究者たち、というところになりそうです。・・・いや、果たしてそうなのかな、と。彼が高く評価する「ミクロ・ストーリア」の研究者たちそれ自体(例えばカルロ・ギンズブルクなど)はさておき、彼の研究に影響を受けたより若い世代たちの研究が、タコツボ化を悪化させるんじゃないかな、というのが最初に思ったこと。そして何より、「過去を自分の関心に沿って選び、書く」という手法は、ややもすれば恣意的で統合性を欠く研究に行き着くのではないか、と危惧してしまいました。どうもやはり、私はその思考・手法に置いて保守的な人間ですね、やはり・・・
さらに懸念を憶えたのは、ホワイトが中国の北京・上海の博物館で、書と考古的遺物が一緒に置かれている展示状況に「感動した!」と言っていたこと。状況は日本でも似たようなモンではないかな、と思うのですが、彼の国では(日本もそうですが)、まず書は、例えば王義之を取り上げるまでもなく、芸術としても評価されてきたという事実を承知していない。次に、中国では文書館の整備って、きいたことがないんですが。ひるがえって西洋では、文書館がよく整っています。この状況を対比して考察してみたとき、ひょっとしてポストモダニズムっていうのは、批判対象・称賛対象に対する無知に立脚した議論じゃないのか・・・という、実にロクでもないことを思いました。