6月9日更新
5月16日及び本日、大阪高齢者大学校
「世界史から学ぶ科」
の担当部分、「ギリシャ・ローマ世界の形成」および「地中海世界」の講義をしてきました。昨年度に引き続いての担当です。構成も昨年と同様に、
- 初回:ギリシア・ローマ史概観
- 2回目:ヘレニズム時代・文化史特論
という形にしました。昨年度よりは、まともに話ができていたらよいのですが。
本日の授業では、最後に、返答に窮する質問が飛んできました。
「アレクサンドロス大王は何故、こんなにも遠くまで遠征したのでしょうか?」
この問いには、一瞬、返答に窮しました。これにまともに返答を試みるだけで、優に、さらに1時間半を要してしまうことでしょう。私の回答は、・・・つまり持論ということですが、
「大王は、言ってしまえば、バックパッカーの魂を持っていたのです。ですから、自分では歩みを止めることができなかったのです。ところが部下たちはそうではなかったから、インダス河まで行ったところでストライキを起こして、何とか大王に足を止めてもらったのでしょう。と、そう思って堂々小声で主張しているのですが、この
『大王は元祖バックパッカーだった論』
は、あまり賛同してもらえません」
というオチを無理やりつけて講義を閉じたのですが、さて皆さんは賛成してくれるかどうか。
もうひとつ寄せられた質問は、実は昨年も同じことを訊かれたのですが、
「何故ヨーロッパでは発生した民主主義が、日本を含め東アジアでは何故、発生しなかったのか?」
というモノです。これに対しては
「自分の担当するところでは無い」
と、今年は逃げました。その理由は、古代にアテナイ等で花開いた民主政的システムは、中世にいったん忘れ去られ、近代以降に再び復活したという経緯を持っていることによります。すなわち、古代の民主政と近代以降の民主政を同一のものと簡単に断ずることには、(少なくとも、私は)慎重であるべしと考えるので、「その問いへの回答は近代史を担当される方にお任せします」と逃げました。妥当な判断と思いますが、やや姑息であったかもしれません。