春の瀬戸内ふらふら紀行

5月3日更新

青春18切符をフル稼働して、京都から広島~松山~琴平~高松と回ってきました。実はこれまで、松山も善通寺も高松も行ったことがないという状況でしたので、SARS-Cov-2騒ぎで日本から出られない今のうちに、と思い立った次第です。

さて、青春18切符で、ということは京都から広島までは在来線です。そうしますと、7時半に京都を出て、広島着は14時15分ごろです。そして宿に荷物を置くと、自転車を借りて広島城に向かいました。広島城を見るのは、たぶん今回が初めてです。原爆で吹っ飛んだ後に再建された城ということもあり、自然と頭を垂れていました。夜は、大学以来の珍友・山口樹氏(仮称)と、一献傾けました。

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桜で化粧する広島城

平和祈念公園で頭を垂れた翌日は、朝7時過ぎに平和祈念公園近くのホテルを出て、市電で宇品港へ向かいました。ここから松山まで、瀬戸内を航行します。8時15分に広島港(宇品)を出航、呉に寄港した後は瀬戸内を突っ切り、松山観光港に11時少し前に到着しました。

呉港に寄港

港からは伊予鉄道に乗り、JR松山駅を経由して松山市駅に到着したのですが、JRの駅が小さく、伊予鉄の駅が大きくて立派であるのは、事前に情報を仕入れていなければ驚いたことでしょう。松山市駅から松山城は指呼の間にあり、腹ごしらえをしてから松山城に登りました。城は勝山という高い丘の上にあり、「登りました」という表現がしっくりきます。

松山城への登城道。もう「登山道」と呼んでも良い気がします。

松山城:本丸で天守閣を見上げる

城の天守閣が見えた時には、その威容に思わず声を上げてしまいました。同時に不思議に思ったのは、何故これほど立派な城が、国宝指定されていないのかと云うことでした。城内の案内によると、この天守閣が再建されたのは19世紀に入ってから、ほぼ幕末期と築年数が浅いので、国宝認定されなかったということのようです。その分、建物の中はしっかりしていました。そして城からの眺めは非常に良く、松山市内をよく見渡せます。城の近くには愛媛大学があり、古代ギリシア史研究者の齊藤教授に声をかけ忘れていた迂闊さに頭を抱えてしまいました。初の松山で、どうやら浮かれていたようです。

松山城を出た後は、市電で道後温泉に向かいました。そのまま温泉に浸かりたいところですが、なにぶんにも持ち物がなく、この地は通過のみと最初から決めていたため、周囲の宝厳寺や伊佐爾波神社、湯築城跡を見て回ってお仕舞いとしました。

道後温泉本館は工事中

道後温泉駅

道後温泉の後は、JR松山駅に向かう前に大街道の商店街をブラブラしました。京阪バスでアルバイトをしていたころ、松山行きの伊予鉄バスのアナウンスで必ず名前を挙げていた下車地の1つが大街道でした。どんなところかと思ってみれば、大規模な商店街です。ふと昔を思い出しながら、商店街を歩きました。

さて、松山市駅ではなく松山駅から、JR特急の高松行きに乗り、途中下車して琴平に向かいます。どうも乗り換えを間違えたらしく、琴平に着いたころには8時頃。もう殆どの店が閉めており、なんとか開いていてくれた「つるや旅館」敷地内の食堂で夕食を食べ、空腹を抱えてふらふらという事態にはならずに済みました。

松山市駅前路面電車ターミナル

鞘橋。宿から金比羅宮への道すがらにあり。


一夜明けて、金比羅さんを目指します。前に金比羅さんにお参りしたのは2008年の学科旅行で、実に13年ぶりの金比羅参りです。階段は768段あるということですが、これまで鍛えてもらってきた成果の表れか、前に登った時よりも足取りは軽く感じました。もっとも、さらに奥にある奥社の参拝は諦めましたが。その代わりと申しましょうか、階段を降りる途中で、表書院に足を運びました。ここは金比羅宮の別当による、儀式や参拝者応接のための使節だったそうです。円山応挙の障壁画が出迎えてくれました。

金比羅宮にて

旭社

金比羅宮参道

金比羅さんに別れを告げて、次に向かったのは四国遍路の75番札所・善通寺です。寺でもらった案内によれば、ここは弘法大師空海の産まれたところだそうです。事前の調査不足でしょうが、寡聞にして知らなかったのは我が身の無学ゆえでしょう。立派な五重塔が建ち、敷地が広大なのも、道理でしょう。

善通寺の伽藍

善通寺の後は甲山寺(74番)・金倉寺(76番)とまわり、金蔵寺駅から列車に乗りました。さて、それにしてもおかしな参り方をしてしまったものです。単に善通寺参りが本日の目的の1つで、他の札所は善通寺から近いところを回っただけなので、こんな感じになってしまったのですが・・・さて、次の遍路の入りは、2019年の時を基準にするか、はたまた今回の金倉寺を起点とするか、そんなことを考えながら最終目的地の高松市内に入ります。高松駅の目の前にある高松城跡は、玉藻公園という公園になっています。天守閣はありませんが、重要文化財指定されている月見櫓や艮櫓などがあり、また大正時代に建てられた披雲閣もあって、威容を保っています。昔は海に接していたということです。瀬戸内を航行して港に入ると、まずこの城が目に入るという構図だったわけです。

高松城

そんなことを考えながら、市内を少し歩いて、高松駅から列車に乗りました。岡山で乗り換え、さらに姫路で乗り換えて、大阪駅に11時頃到着のはずが、なんと途中で先行列車が鹿をはねた影響を被って、到着が30分遅れてしまいました。久しぶりに宿を取った西成に着いた時には、ヘロヘロになっていました。