年の瀬に(2023年)

2023年も、暮れようとしています。

今年の大きな変化としては、大学で専門の授業を持ったことでしょう。初めての講義は、これまでの英語の授業とは大きく違っていたため、まごつくことも多々ありました。これまで勉強してきたことを踏まえてのものとはいえ、こんなにもあたふたするものかと、我ながら反省することばかりでした。

その専門との関連では、学会が通常運転に戻った感があります。とくに5月の名古屋大での西洋史学会は、多くの先生方との再会の場となりました。嗚呼、またお会いできて良かった、と何人の先生に挨拶しながら思ったか知れません。

また、今年は海外への旅の復帰を果たすことができました。特に、念願かなってサウジアラビアを訪問できたことは、我ながら大きな喜びでした。中東史研究者と自認する私ですが、中東をこれほどどっぷり旅したのは、2011年のトルコ旅行以来です。私の旅人としての衰えを痛感するひと時でした。この時の経験をもとに12月の古代史研究会で行った「遺跡紹介」は、思えば私のこれまでの報告のうちでも、一番自分らしいと言えるかもしれません。

旅と云えば、今年は8月に四国遍路を2泊3日で「繋ぎ打ち」してきました。この遍路は大変な行程となってしまいましたが、一方で心に残るものでした。嗚呼、早くそれも書かねば!

他にも、今年積み重ねた個人的な蓄積は多々あれど、このブログで十分に反映できていないと自戒する次第です。そして、研究ももう少し進めていかないと、と年の瀬に改めて自省するしだいです。

明年が、このブログをお読みの皆様にとっても良い年でありますように。

第22回古代史研究会報告記(但し研究報告ではない)

年末恒例の古代史研究会が、今年は同志社大学で開催されました。例年なら京都大学での開催ですが、今年は担当の先生が在外研究中のため、同志社での開催となった次第です。今年は、私も報告してきました。とはいえ、通常の研究報告ではありません。それは、案内に記載された報告者および題目を見れば明らかになると思います。

研究報告 1:小山田真帆(京都大学

「古典期アテナイにおける男性同性愛と民主政イデオロギー」 

研究報告 2:大谷哲(東海大学

「対立の結果としてのフィランスロピア―カエサレアのエウセビオスの用語法-」 

研究報告 3:小坂俊介(愛知教育大学

「後期ローマ帝国におけるコンシストリウム」 

研究報告 4:辻坂真也(同志社大学

「初期メソポタミアにおける王の死-ウル第三王朝における王の死後儀礼-」 

遺跡紹介:柴田広志(佛教大学) 
「「秘境」サウジのナバテア岩窟墓群-マダ・イン・サリーフとサウジアラビアの最新旅行情報-」 

すなわち、夏のサウジアラビア旅の際に訪問したナバテア王国の遺跡マダーイン・サリーフについて話すという、・・・私らしいといえば私らしい報告になった次第です。まぁ、一人だけ題目が可笑しなことになっていますが。

もっとも、実は直前まで冷や汗をかいていました。前日から突然の腹痛に見舞われ、うんうんうなりながら近くのドラッグストアに駆け込み、飲んだ薬が効いたおかげでなんとか無事に報告できたという次第です。声は、我ながら情けないほどにかすれていましたが(涙)。また、内容が内容だけに、提出したレジュメよりもパワーポイントが主という報告になりました。

恐ろしかったのは、

「絶対に君の報告は聞かないと!と思って来た」

というコメントが意外に多かったことです。気軽に聞いてもらえたおかげか、反応はそんなに悪くなかったと思います。

ともあれ、これで気分良く年越しができそうです。

岸和田健老大学講義打ち上げ

9月30日更新

4月に始まった岸和田健老大学専門講座、
「西洋古代史 -欧米世界の「古典」ギリシア・ローマ」
本日、2023年度分の最終講義でした。

岸和田はこれまで通過したことしかない場所でしたが、思わぬ縁で、西洋古代史の概論的な講座を担当することになりました。
岸和田健老大学で西洋史の講座は極めて稀だったということでしたが、熱心に聴講していただけたと思います。

最終日の今日は、事前に提出した進行表では帝政期を追いかけることになっていました。

ただ、前回7月の講義で、共和政の最後を飾る第一次・第二次三頭政治を講義することが出来ませんでした。
そこで今回は、カエサルからローマ帝国の東西分裂までを駆け足、というより全速力で見ることになり、なおかつ十分弱延長してしまいました。

講義の後は、恒例となった、担当スタッフの皆さんとの談話会となり、サウジアラビア土産のデイツ(乾し棗椰子)を振る舞いながら、現地での話などをしました。

岸和田健老大学のスタッフの皆様、縁をつないでくださった京都府立大学の井上先生、ありがとうございました。篤く御礼申し上げます。

サウジアラビア訪問記:総集編

8月20日サウジアラビアのジェッダから入国し、昨日、帰国しました。日本の出入国地点が成田だったため、一日遅れの日付での報告となっております。細かい報告はまたボチボチと云うことで、①全体総括および各都市(②ジェッダ、③マディーナ、④マダ・イン・サーレハ)についての短報のみ列挙します。(1JPY=0.026サウジリヤル(SAR))

マダ・イン・サーレハの墓群のひとつ

①全体的なところ

  • 事前調査が、まったく用を為さない。到着時点での情報検索が頼み。したがって、インターネットに接続できないと、その時点で試合終了。
  • 公共交通という概念が皆無であり、市内移動はタクシー頼み。
  • 大都市は何処も再開発で土木工事をやっており、バスターミナルが事前調査した場所から郊外の辺鄙なところに移動していることが多数。
  • ビザの発行申請も含めて、発券に際しては、PCのブラウザではMicrosoft Edgeは使い物にならない。SAPTCO(サウジ公営交通)、アル・ウーラのツアーなど、Google Chromeでないと発券しない。スマホタブレットはその限りではないと思われる。
  • Google Chromeでも、クレジット決済の際に使えるカードと使えないカードがあるので注意。航空会社のマイレージカードは使えない可能性があるので注意。銀行のクレジットは、一度蹴られた後で確認のメールが届き、確認の上決済、という手続きを踏む場合が多かった。
  • 宿の予約はBooking.comやAgodaなどのオンラインが主となるが、予約して現地に行ってみると、看板を出していないところが相当にある。今回はマディーナとアル・ウラーの宿がそうで、見つけるのに一苦労した。

マディーナのSAPTCOバスターミナル近くの光景

②ジェッダ

  • アブドゥルアジーズ空港から旧市街近くまでは、SAPTCOのバスで20SAR。ただ、国際線が乗り付けるN(北)ターミナルから第1ターミナルを経由する際に、かなり長時間待つ。
  • 空港からのバスの終点はショッピングモールが多数あるところで、おそらく以前は、このあたりにバスターミナルがあった。現在も、市内バスのターミナル。私が泊まったAl-Nadah Hotelはすぐ近く。(全然期待していなかったのですが、旧市街との距離も含めて、実に便が良いところにある宿でした。高いけど)
  • 市内から空港へは所要1時間ちょいと云うところ。バスは1時間3本という話だったが、14時台は1時間1本だった。
  • Al-Nadah Hotelに近いLulu ExpressというショッピングモールのHael通りに面した出口に乗り合いタクシーの乗り場がある。マディーナまで4時間ほど、料金は一人あたり100SAR。
  • Googleマップで最初に出てきたSAPTCOのバスターミナルは、鉄道の駅と同じ敷地に移転。旧市街にちかいAl-Nadah Hotel(市内バスのターミナル付近)まではタクシーで10㎞ほどの距離。
  • もしジェッダの宿を確保していない場合は、空港から直接マディーナに向かう方が都合が良いと思われる。マッカとマディーナをつなぐ「ハラマイン高速鉄道」の駅が空港内にある。ウェブサイトの予約画面を開くと「ビジネスクラス」の値段が表示されて尻込みするが、それよりはずいぶん安い「エコノミークラス」の予約も出来るようになっている。
  • 夏場、日中は出歩くだけで汗が止まらない「天然サウナ」状態。その代わり、夜は涼しく、旧市街は日中よりも夜の方が明るく栄えている。

世界遺産・ジェッダ旧市街

③マディーナ

  • SAPTCOのターミナルは、旅行記サイトなどで記載されている預言者モスク北側という至便の場所から、西に10㎞ほど行ったTabuk地区の荒野のど真ん中に、2023年8月10日に移転。バスターミナルは現在、掘っ立て小屋のような仮事務所で営業中。
  • 旧SAPTCOターミナルは乗り合いタクシー乗り場として機能している。ただし大都市間の便しかない。
  • 預言者モスクは現在、異教徒も訪問可能。
  • 周辺の歴史的な見所は観光バスが運行しており、一通り見て回ることが出来る。24時間有効で80SAR。
マディーナの預言者モスク、昼と夜の光景

④アル・ウラー(マディーナまで100~110SAR、ジェッダまで179SAR)

  • マダ・イン・サーレハ観光の基地。裏を返せば、他に用事は何もない
  • マダ・イン・サーレハは現地ではHegraと呼ばれており、この場所には現地ツアーを利用していく。1日3便(午前2便、夕方1便)。各所要2時間ほど、料金は95SAR。
  • Hegraツアーの起点となるWinter Parkは市内から10㎞ほど離れており、タクシーで乗り付ける以外に手段はない。また、帰りもタクシーで戻るしかないが、Winter Parkと市内は高速道路で結ばれているだけで、タクシーを捕まえるのは至難の業。手配が必要になる。私は通りがかりの気の良い兄ちゃんに拾ってもらって市内まで乗せてもらったが、これは参考にならない。
  • 郊外の宿が多く、市内の宿はAir B&Bのモノが多い。値段と宿の設備がまるで見合っていないことも多い。
Hegraツアーの起点Winter Park周辺の写真と、マダ・イン・サーレハの墓群の1つQaṣr al-Farīd

 

サウジアラビア訪問記①マディーナ編

12月30日更新

サウジアラビアは、旅行者へのビザが発給されない国でした。しかし2019年9月末から突如ビザの発給が開始され、一般旅行者も訪問できることになりました。かくして、この夏の旅はサウジアラビアを目指します。

成田空港から出発し、スリランカコロンボで一泊して、20日にジェッダからサウジアラビアに入国しました。ジェッダ空港から市内まではSAPTCO(サウジ公営交通)のバスで出まして(20SAR)、その近くの乗り合いタクシー乗り場からマディーナまで4時間ほど揺られてきました(100SAR)。乗り合いタクシーは町外れに到着するので、そこから宿まではタクシーで乗り付けました(30SAR)。

宿は表札も出ておらず、しかも再開発の行き届いていない地区にあるため、外出すると帰り着けずに迷子になると云うことが多々あります。

預言者モスク

さて、マディーナは、ムハンマドがマッカから逃れ、終の棲家を構えた場所です。そのムハンマドの住んでいた付近にあるのが「預言者モスク」です。広大なモスクは、昼の礼拝の時間ともなれば、その周辺も祈りの場と化します。とはいえ、昼の礼拝の時間には陽光が照りつけるため、モスク本体周囲の多くの開閉式テントが展開しっぱなしという状態です。夜に行ってみると、明かりが煌々と灯され、日中よりも涼しくて人出も多いです。やはり沙漠の国は、昼より夜が活動時間帯なのだと痛感します。

夜の預言者モスク

預言者モスクに隣接して、イスラーム文明博物館(正式名称はもっと長いのですが、無理やり縮めました)というのがありまして、ここは主にムハンマドの生涯の言葉をハイテクを駆使して紹介していくという、面白い博物館でした。なんだか、ITを駆使した学校という感じでしたね。学芸員さんが付きっ切りで案内してくれたし。

マディーナはイスラーム揺籃期の中枢で、初期にはマッカとの間に抗争を展開したところです。したがって、その周辺にはイスラーム草創期の重要な場所がいくつもあります。そういったところには、観光バスが走っています(80SAR)。この24時間以内であれば乗降自由の"Hop-on Hop-off Bus"を駆使して、マディーナ周辺の古戦場などの主要な場所を見て回ることができるわけです。

ヒジャーズ鉄道駅跡と、ウブドの古戦場後

また、このサウジには旅の先達・ハビーブまりもさんがお住まいです。今回のサウジ訪問の目的のひとつが、まりもさんにサウジでお会いすることでした。かつて世紀転換期頃のユーラシア横断・世界一周組の間では有名な存在だったまりもさんと海外で再会できるというのは、まさに旅人冥利に尽きるひと時でした。

宿の周辺

 

西成での小宴と、岸和田の講義と

10月30日更新

旅仲間のちー兄ちゃんから

「いま西成に泊まっているよ~金曜の夜の予定はどう?」

と声をかけられてしまいまして、・・・何しろ、こういう声をかけられたら、基本は断らないというのが私の宿痾です(苦笑)。金曜日の夜はバイトだが、さてこれをどうするか・・・思案投げ首した挙げ句、予定を無理くり調整して30分だけ早く終わらせてもらい、西成に10時過ぎに到着して一泊して翌日に岸和田―という日程を組むことにしました。

かくして金曜日、西成でちー兄ちゃんと合流し、宿所近くの「成田屋」というおでん屋さんで一献傾け、閉店時間までじっくり語らいました。前に盃を交わしたのは2019年のこと、その後のことについて、語ることは尽きませんでした。

翌日、通天閣のすぐ脇にある「ラジウム温泉」で朝風呂を浴びた後、いったん阪急の相川へ。ここで知人N浦さんと落ち合いました。目的は、その知人宅で収穫されたビワの実をいただくという、それだけだったりします。

その後、岸和田へ。岸和田健老大学の講義は3回目、

アレクサンドロスとヘレニズム-「クレオパトラ」たちの生きた時代」

と題しまして、専門のヘレニズム時代の話をしました。このテーマでやるといつも問題になるのは、アレクサンドロス大王の話が長引くこと・・・なんとか短く端折って!と思ったのですが、結局ヘレニズム時代は終わりませんでした。

そして夜は、十三にて、某・大阪のライムガーデンの幹事長ことバタさん(仮)の思いつきで急遽召集された酒宴。ライムガーデンの強者の中に、午前中にコーヒーを一緒に飲んだN浦さんも合流、楽しい一晩となりました。

 

故知、遠方より至る

6月11日更新

英国に留学した2009年と2011年、そのどちらのときもロンドンでお世話になったのが、インペリアル・カレッジの学生だったエドワードです。そのエドワードが、仕事に一段落を就けて日本で長めの休暇を取っていると連絡を受け、会うことになりました。

彼は、日本に来る前から達者な日本語を使いこなしていました。その後に数次の日本滞在を経験し、実力に磨きをかけています。

授業後、下鴨神社で再会し、茶店でお茶を飲みながら雑談が弾みました。この3年ほどは日本に来ることがままなりませんでしたが、再会した彼の日本語は、いささかも衰えていませんでした。ロンドンで第2SARSの最前線近くで奮闘した経験を持つ彼の話は、私にとっても貴重な源氏情報でした。

あいにく雨がちな天気でしたが、幸い、外歩きの間は雨には祟られず。いったん拙亭に寄った後、四条川端のSIBAへ。やはり来客があるときには、ここで一献傾けたくなります。心が潤う、そんな夕方のひとときでした。