コンチキチンと鳴る音がそろそろ・・・

半月ほどぶりに、文化博物館でのバイトに行ってきました。そろそろ祇園祭ということで、この界隈はそろそろ準備におわれだす頃です。烏丸通りには未だ山が立っている様子はなかったのですが、段々と浴衣姿の女性が目立つようになってきた今日この頃の京都です。
夕刻には、友人そーちょーと会食してきました。ここのところの日記で弱音を吐きすぎたので、心配してくれたとのことです。そんなに凹んでいたかな、とおもってブログやミクシィを読み返してみたら、確かにこれは皆さんに不安を与えても仕方ありませんね。申し訳ありません。そして、有り難いことです。
確かに凹み方はそこそこに深刻なのですが、どうにも今回の場合も含めまして、周りの方がフォローしてくれたり、下手をすれば周囲にもっと凹んでいる人がいたりするので、私はどうも、比較的冷静になってしまいます。おそらくは、鬱になるほどの心理的強靱さを持ち合わせていないのでしょう。そこにたどり着くはるか手前で、逃げを打ってしまうのではないかと考えています。単純に、失敗しようが何だろうがバタバタしていて気が紛れるという側面があるのは否定できませんが。
そんなこんなですが、一昨日、遊びに来たそらみ君が、研究室で撮影した写真を送ってきてくれました↓

『日本史研究』とピーター・グリーンの二つに同時に目を走らせているという時点で、嘘八百な写真です。ヘレニズム時代史研究が西洋で流行ったのは19世紀から20世紀初頭にかけての時期、西洋諸国の植民地支配のモデル・ケースとして、という側面が強かったので、必ずしも「嘘っぱち」とは決めつけられないんですが、まあいいでしょう。第二次大戦後、振るわなかったヘレニズム時代研究がリヴァイバルするのは、植民地支配崩壊の打撃からヨーロッパが体勢を立て直した1980年代のことです。ちなみに、やったら面白いだろうなぁと最近思っているのは、16世紀末から17世紀にかけての西洋カソリックプロテスタント諸国の「宗派化」の過程と、江戸時代日本の宗門改との比較研究。どなたか、研究会でも設けてやってみて下さい。私は専門じゃないんでやりませんが。話だけふっておいてやらないのは、『そこは俺のナワバリじゃない』と思っているだけの話です。