蔵出し独り言:絶対的年齢と相対的年齢の間

ミクシィで昔書いた文章です。奥付で行くと2007年8月12日付、となっています。若干タイムラグがありますが、ご容赦下さい。敢えて書き改めなかったのは、何も過ぎ去った二十代へのノスタルジーというわけではありません。今はバックパッカー孫子としての自分をお休みしていますが、これから先、バックパッカーに復帰するたびに思うかも知れない感情ですから。それでは、どうぞ。

絶対年齢としての私の年齢は、29歳である。
「30歳まで、あと一年を切った」
という話はさておくとして、世間的に見れば若い部類に入るだろう。それが絶対年齢という事なのだが、さて、これに「旅人として」という別の基準を絡ませると、つまり相対的に見てみた場合、果たしてどうなるだろう。おそらく間違いなく、相当に年齢が上がるのではないだろうか。

そんな事をふと考えてみる気になったのは、自分の旅について少し思い返してみたからである。
2年前、久方ぶりにエジプト・トルコを旅した時、私とさほど年が変わらない、現役の「シルクロード横断」組の人たちと、私の旅のスタイルの違いに、愕然とした事がある。いや、基本的に「バックパッカー」という旅のスタイルは同じなのだが、姿勢が全く違っていた。
私がユーラシア横断をしていた2000年は、名だたる旅人たち(マイミク仲間の没有さんはその一人)が争って情報ノートに情報を書き込んでいき、それに触発されて(私も含めて)様々な旅人が情報を残していった結果、驚くほどレヴェルの高い情報が世界各地の情報ノートに蓄積され、結果として情報ノートの整理だけで一日以上を費やす事すらあった。
ところが、2005年にイスタンブールのツリーオブライフやカイロのスルタンホテルに集まっていた旅人たちは、情報のやり取りは殆ど口伝いに頼り、目の前にある情報ノートには殆ど目もくれなかった。
「アテにならない」
というのだが、そういうわりには、自分が何かを積極的に書き込もうとはしなかった。一ヶ月近く滞在する彼らに比べれば滞在時間の短い私が、せっせと自分の得た情報を書き込むのとは、対称的だった。その時、私と殆ど歳が変わらない、ひょっとすれば年上の人たちと自分を比較して、
『自分は、えらく年寄りになったもんだ』
と痛感した。その時、
『年齢には、絶対的なモノと相対的なモノがあるんだ』
と思った。『旅』という基準にかけて見た時、私はおそらく『相対的』に年寄りの部類に入るのだろうな、と。

ふとそんな事を思うのは、最近、研究室の人たちが海外に出ようという話をよくしているからである。無論、ツアーを利用して複数で行こうとする人が殆どで、私のような個人フラリ旅の人は少ないから話はややあやふやかつ複雑になるのだが、そんな「若々しい」やり取りを眺めながら、
『おそらく、また中東に行ったら、自分が相対的に一段と老けた事を痛感するんだろうなあ』
と、思うのである。おそらく、『歳を取った』と感じ始めるのは、絶対的な年齢より、相対的な年齢からの方が早いのだろう。
そんな事を考えるのは、やはり『歳を取った』証拠なのだろうか。