夏の四国訪問記ー小島剛一氏と回る遍路道ー

9月28日更新

この夏の最大の懸案事項は引っ越しでしたが、何とか旧居を引き払うことができました。今回の引っ越しに当たっては、ゲストハウス大阪様の全面的な支援を受けました。厚く御礼申し上げます。

旧居引渡しを済ませた翌・24日、整理途上の新居を後にして、岡山経由で四国に向かいました。小島剛一氏の誘いを受けて、四国遍路をほんの一部だけ、歩いてみることになったためです。小島氏のブログを見たことがある方はご存じでしょうが、氏は幾度も四国の遍路道を歩いておられます。常々、その心得を教えていただいていましたが、今回は達人に実地で受ける遍路入門講座、という感があります。

岡山を経由したのは、岡山市立オリエント美術館の見学と、同博物館学芸員の四角氏との情報交換のためでした。しかし残念ながら、四角氏は出張中でした。仕方なく、四角氏の解説なしで、見て回ることに。今回の特別展は非常に気合いの入った展示でしたので、なおさら四角氏の解説があれば、と残念でなりません。

岡山から、JRで瀬戸大橋を渡って四国へ。志度駅で電車を降り、駅前で待っていてくださった小島氏と合流、86番札所・志度寺に参拝しました。翌日は、87番と88番をめぐる予定でした・・・が、急なことで88番札所近くの宿が取れないことになり、志度寺ちかくの「富士屋旅館」で協議の結果、翌朝の高徳線に乗って板野まで出て、3番札所の金泉寺から翌日の行程を始めることになりました。

金泉寺は(当然ながら)1番札所もそう遠くないところで、遍路道では序盤といって良いでしょう。この日歩いた道は、若干の上り下りはあるものの、比較的平坦と感じました。なるほど、四国遍路では最初にこの辺りから足を慣らして、徐々に高低差の激しい道に入っていくのか、と得心した次第です。

歩いてみて改めて感じたのですが、四国遍路道世界遺産にならない方が賢明だろう、ということでした。これは世界遺産になってしまった高野山との比較なのですが、管見の限りでは宿坊が充実している高野山でも、世界遺産登録前(2001・2005年)と後(2013・2015年)を比較すると、現在は完全に許容人数を越えてしまっていると感じました。四国の今のインフラでは、押し寄せる世界遺産ウォッチャーを収容しきれないでしょう。遍路道は、現状を維持するだけで精一杯ではないでしょうか。

そんなことを考えた理由の一つが、食事です。何しろ一日中歩くので、ちゃんと食べないと力が出ません。朝と晩は旅館で食べることができますが、お昼がきちんと確保できるかどうかが重大な問題です。少なくとも、この日歩いた遍路道の多くが、市街地から遠く離れたところにあります。食堂も、一か所見逃すと、次に見つかるのがいつになるか、保証の限りではないと感じます。幸いこのときは、7番札所・十楽寺の山門前に「極麺あたけ 土成店」といううどん屋さんがあったので、大丈夫でした。

そんな感慨を抱きながら、真っ黒に日焼けされた小島氏から道中でうかがうお話は、いつもながら大変勉強になることばかりでした。話題が古今東西、多岐にわたるので、とても書き尽くすことができないのは残念です。お話を独り占めできた幸運は、わずかな時間とはいえ旅路を一緒した者の特権ということで、ご容赦ください。ひとつ改めて感じたのは、やはりこの碩学は、同時に徹頭徹尾、旅人でもあるということでした。

幸い、天候にも恵まれました。ということは、日も照って、ということですが。おかげで小島氏には及びませんが、私もすっかり日焼けしてしまいました。そして吉野川を渡り、鴨島温泉・鴨の湯に浸かって汗を流した後、宿所の「三笠屋旅館」に泊まって一日の疲れを取りました。翌朝は、早くに宿を出立しました。残念ながら、同行したのは1日のみです。小島氏とは鴨島駅前の通りで、再会を約してお別れしました。

余談ながら、富士屋旅館・三笠屋旅館どちらも、風情のある良いところでした。ああ、旅館ってこういうところだよな、という。

さて、と次の行先を駅で思案した挙句、鳴門へ向かいました。2008年以来の訪問となる大塚国際美術館が、その目的地です。昨年度の紅白歌合戦で使用されたことで、一気に知名度が上がった感がある、西洋名画の複製品をこれでもかというくらいに展示している美術館です。前回訪問時は京都府立大学歴史学科の学科旅行で、他の学部生なども一緒でした。今回は独り、じっくりと見学して回りました。

「出来が良くても、所詮はコピー」

との批判も当然あるかと思います。前回訪問時も、一行の中にそうした声がありました。ですが、ヨーロッパからの距離と、ここに集められた展示品の、原画の所在地の散らばり具合をみると、そうした批判は当たらないだろうと思うのです。まして、原画の中には入場制限がかかっていて、近くに行ったが見学できない、というものも多数あります(たとえば、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」は、まさに現地まで―友人ヴァレンティーナと一緒に―行ったのに、私は見ることができませんでした)。そうした中で、再現度の高い複製品を見ることは、決して意義の低いことではないと思います。そんなことを考えながら見て回っていたら、あっという間に4時間近く経ってしまいました。鳴門の市内まで戻り、高速バスに乗って、梅田経由で京都に戻りました。密度の濃い、実に濃い、感慨深い3日間でした。

 写真は4枚、上2枚は札所で、下2枚は大塚美術館でのものです。

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86番札所・志度寺。立派な塔が印象的でした。

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8番札所・熊谷寺。金剛峰寺や根来寺を思わせる塔が印象的でした。

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ポンペイ出土、アレクサンドロス大王とダレイオス3世の会戦を描いたモザイク。ちなみにエディンバラ大学修論の扉絵は、この絵を使いました。

 

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スクロヴェーニ礼拝堂。本物は、入場入れ替え制で、写真撮影はNGでした。