2024年春旅の記録②エディンバラ~ロンドン

3月20日更新

今回の旅程で、一番苦慮したのはエディンバラに飛ぶ時期をどこで持ってくるか、ということでした。これは、

  1. ストラスブール訪問
  2. 南仏のローマ遺跡とアヴィニョン教皇庁訪問

という2点を至上命題として旅程に組み込んだことによります。ここで厄介になってくるのは、フランスという国が、交通政策において、極端に中央集権的であることです。つまり、パリ起点であれば何処に行くにも都合がよいのですが、パリ以外のある地点から別の場所に行くとき、鉄道でも、場合によっては飛行機でさえ、パリを経由することになってしまうのです。今回であれば、南仏~仏独国境地帯を直線でつなぐ路線はなく、例えばマルセイユからパリを経由しなければストラスブールには行けません。これでは、せっかくTGVを使っても6時間はかかってしまうのです。

ならばバスで、ということになりますが、これが意外に難儀しました。ヨーロッパ各地をつなぐFlixbusの予約と発券が、Microsoft Edgeで上手くいってくれないのです。サウジ旅行の悪夢再びです。で、Google Cromeに切り替えて、なんとか上手くいきました。

これに併せて、フランスから英国に、どの時点で立ち寄るかも決まりました。まさかパリ入国の次の日の夜に出国するとは、パリ行きの航空券を買ったときには想定していませんでしたが・・・

閑話休題

かくして、シャルル・ド・ゴールの入国ゲートをくぐった次の日に早くも出国し、5年ぶりのエディンバラへの「里帰り」、今回は夜景を空から眺めつつ着陸することになりました。で、とりもなおさず、これはBrexit後は初の英国入りです。それを実感したのは、入国審査の時に乗客全員がパスポート提出を求められたことです。前回、2019年までであればEU市民は身分証の提示だけで良かったのです。それが今回は、EU市民もパスポートの提示を指示されていました。英国が本当にEUから外れたんだなぁ、と実感した瞬間でした。遅い時間でしたので、今回は空港からトラムで出ることができず、終夜運行のエアリンクのバスでエディンバラ市街地入りしました。今回の宿も、前回同様のロイヤル・マイル終点付近のキャッスル・ロックホステルです。

翌朝、最初に向かったのはウェイバリー駅にあるウェイバリー・モールです。目的は、5年間の不在期間中に新しい札に切り替わったUKポンドの旧札を、新しいお札に替えることでした。中央郵便局に行って首尾良く新札を手にした私は、デザインを確かめて呆然とたたずむ事態に陥りました。入手した新札のほとんどが、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド発行のスコットランド・ポンドだったのです。

「イギリス」訪問経験がある人のうち、このことを実感している人は多くないのではないでしょうか、英国には(少なくとも)バンク・オブ・イングランド発行のイングランド・ポンドと、上記スコットランド・ポンドが併存しています。もちろん等価の通貨なのですが、

という不均等が、厳然として存在するのです。2009年にエディンバラの中央郵便局で日本円から両替したときには、すべてイングランド・ポンドで受け取りました。だから今回も・・・と思っていたら、当てが外れたわけです。その場でイングランド・ポンドへの交換を要求するも撥ね付けられ、ならばとRBSで要求したら「口座所有者にのみ対応」という具合で、途方に暮れてしまいました。幸い、昼にお会いしたエディンバラ大学日本学科の先生に相談したところ、首尾良く(その先生が口座を持っているRBSで)イングランド・ポンドに替えてもらえたので、事なきを得たのですが。なお、これは紙幣の話です。旧の1ポンド硬貨については、何処でも替えてくれませんでした。それどころか、

「スーパーで買い物をするときに使うんだね」

と宣う始末。ロンドンで実際にやってみたら、使えませんでした。自国の通貨に対する英国のこの無責任は一体何なのか、こんな姿勢でBrexit後の情勢に対処できると思っているのか・・・と思ってしまいました。*1 余談ですが、Brexitに際して明らかになったのは、イングランドスコットランドの巨大な亀裂でした。EU残留・離脱で激しい罵り合いを展開していたのはイングランドの話で、スコットランドの多数派は、あの時点でも今でも変わらず、EU残留支持です。といっても、スコットランドは全体の人口がロンドンにも及ばないので、その民意が英国の国政に反映されがたい。しかし、なかなか日本ではなじみのない話だわなぁ・・・

そういった事情を引きずりつつ、エディンバラは勝手知ったる街です。知己と久闊を叙することで、あっという間に時は過ぎ去っていきました。特に、23日に指導教員のアンドリュー・アースキン先生と再び面談できたのは、とても嬉しいことでした。私が現在取り組んでいるペルガモンの研究は、実はエディンバラ大の修論執筆の際に、アースキン先生から研究を提案されたものでした。その成果として論文をひとまず一本出せたのは、やはり先生の指導のおかげです。その他の友人たちも、会わない間に親になっていたり子供が増えたり・・・そのような子育ての話を聞いたり、外出禁止時期のこと、オンライン授業の時の状況などの情報交換は、印象深いものでした。

珍しく晴天の下のエディンバラ城(左)と市街

エディンバラ滞在中に「ここは行っておこう」と事前に定めていたのは、ディーン・ヴィレッジでした。市街地北方のグラントン方面にホームステイしていた2009年には、市街地に入る際に必ずディーン・ブリッジを渡ったのですが、その下の集落には足を向けたことがありませんでした。・・・まぁ、正確には行く気にならなかったのです。そこがかなりきれいなところだというのでInstagramなどでよく紹介されており、訪問したわけです。たしかに、品の良い集落でした。

ディーン・ヴィレッジとディーン・ブリッジ

長らく不在だったホームズ氏@ヨーク・プレイス*2

エディンバラからロンドンへは夜行バスで出ました。途中まではスイスイだったのですが、ロンドンが近くなると大渋滞に捕まり、ヴィクトリア・コーチステーション到着は当初予定から1時間ほど遅れました。到着翌日の早朝には空港に移動するため、宿はヴィクトリア近くに取りました。やはりこのあたりは、物価の高いところですねぇ。フィッシュ&チップスにビール一杯で£30いきました(涙)。今回は、13年ぶりに大英博物館を見学しました。何回行っても、時間が本当に足りませんねぇ、ここは。昔の『地球の歩き方』だと「目安の見学時間:半日以上」とあって大笑いしたのですが、最近の版だとありません。復活してくれませんかねぇ。そんなこんなで、スコットランドイングランドの「首都をつなぐ旅」は慌ただしく終わりました。

ロゼッタストーンのレプリカと英国会議事堂

 

*1:現行の1ポンド硬貨は2017年2月発行ですが、2018年および2019年に渡英の際は、問題なく使えました。手持ちの旧1ポンドは2020年に渡航の際に銀行で新しいものに変えて貰おうと考えたのですが、同年の第2SARS流行に伴う渡英断念で、それは今回まで延び延びになっていました。今回挑戦してみたところ、敢えなく失敗したというわけです。こちらの記事とこちらの記事を参考にして試してみたんですがねぇ・・・「期限はない」って嘘でした。交換できなかったのもさることながら、銀行の窓口担当者の人をなめたような言い草に、腹が立ちました。

*2:2009年に訪問したときには、この写真とほぼ同じ場所に立っていましたが、2010年の再訪時にはいなくなっていました。