橿原考古学研究所(以下、橿考研)に、久しぶりに足を運びました。どれくらい久し振りか検索してみたら、なんと、もう十年近く前です。第19回のヘレニズム~イスラーム考古学研究会が、金沢ではなく橿考研で開かれた時以来です。
さて、橿原にとんとご無沙汰していた理由は単純明快、京都から遠いためです。拙亭からですと、京阪→丹波橋(近鉄乗り換え)→畝傍御陵もしくは橿原神宮前、という具合で、移動時間として2時間程、見なければいけません。それでも今回足を運んだ理由は、表題にある特別陳列
「Dear Palmyra, 廃墟からの希望ー復活したシリアパルミラの彫像」
展開催の記事を見つけたからです。橿考研は長くシリア・パルミラの発掘調査に携わってきました。私の後輩も一人、この発掘調査にかかわっています。また、前回訪問時、すなわち上記ヘレニズム~イスラーム考古学研究会のホスト・西藤清秀先生には、研究会の際に発掘調査報告書を一部いただいたというご縁もあります。
京阪と近鉄を乗り継ぎ、畝傍御陵前で下車したのは11時過ぎ。そこから少し南を見ると、遠い記憶の片隅にある橿考研の建物が見えました。目的地の付属博物館は、研究所本体とは別棟、徒歩で1~2分離れたところです。特別陳列では実際のものが来るわけではなく、復興の様子をVTRで流して紹介するのが主体ですので、通常料金で見学できました。そして、・・・覚悟はしていましたが、破壊の様子をまとめて見てしまうと、たじろいでしまいました。あの美しかったパルミラが、その遺品が、そして博物館が、見事に木っ端微塵です。そんな状況下で修復に携わっている現地の学芸員と、それをサポートされる橿考研や古代オリエント博物館の学芸員さんの尽力には、頭が下がる思いです。そんなとてつもなく胃に重い特別陳列の後は、橿考研の収蔵品を見学しました。さすが古都・飛鳥発掘の最前線にある研究所、展示品は圧巻です。国宝・重文がズラリと何気なく陳列されています。
そこから歩いて橿原神宮に参拝し、さらに久米寺にお参りした後は今井町へ。近鉄大和八木西口駅から歩いてほどなくのところにあり、江戸時代の街並みが残っています。町の南外れにある交流センター「華甍」は明治時代の建築ですが、実に格好良い建物です。街並み歩きを1時間ほど堪能して、京都に戻ったのでした。